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ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

キャバレー・チームが社会人野球の全国大会出場!?

野球 雑学

先日、ネタラン読者の方から「戦後まもない頃の社会人野球について書いて欲しい」というリクエストがあったので、今回はそれにまつわる話しを一つ。

 

7月18日から第86回都市対抗野球大会が東京ドームで開幕するが、社会人野球はこの都市対抗と、秋に京セラドーム大阪で行われる社会人野球日本選手権大会を二本柱で運営されている。

しかし、秋の大会は日本選手権と銘打たれているにもかかわらず、人気や知名度は都市対抗の方が圧倒的に高い。

それもそのはず、都市対抗が始まったのは戦前の1927年(昭和2年)と長い歴史を誇るが、日本選手権が始まったのは1974年(昭和49年)とかなり新しく、歴史的な差は歴然だ。

 

では、日本選手権が始まる前は都市対抗しかなかったのかといえば、さにあらず。

社会人野球の秋の全国大会として、日本選手権の前身に当たる産業対抗野球大会というものが行われていたのだ。

略して、産業別を意味するサンベツと呼ばれていたのである。

サンベツは都市対抗と同じく、東京ドーム完成前の後楽園球場で行われていた。

 

都市対抗は、現在でこそ企業対抗のような位置付けになっているが、出場するのは都市を代表するチームという建前であり、たとえば東芝パナソニックが試合する場合は川崎市×門真市という言い方をする。

都市ごとに予選を行うわけではないが、各地区を勝ち抜いたチームが本大会に出場するのだ。

 

これに対しサンベツでは、文字通り産業別に予選を行う。

上記で言えば東芝と、パナソニックの前身である松下電器が「電気機械部門」として同じ予選で戦うのだ。

かつて東芝の選手だった人は「都市対抗で松下さんと戦う時は、社内のプレッシャーはハンパなかった」と語っていたが、サンベツ予選となるとその重圧はもっと大きかっただろう。

なにしろ、松下電器日立製作所などのライバル会社に勝たなければ、全国大会に出場できなかったのだから。

 

サンベツの第1回大会は、戦後まもない1951年(昭和26年)に開催された。

この頃、国鉄(現:JR)が中心となった鉄道野球大会や、日本石炭協会が主催する炭鉱野球大会などが行われるようになったので、産業別に予選大会を開催して、代表チームによる全国大会を行おうと企画されたのである。

その頃は春のサン大会(現:JABA東京スポニチ大会)と夏の都市対抗が終われば事実上のオフシーズンとなったので、社会人野球のレベルアップを目論んでサンベツが発足したわけだ。

 

サンベツの主催は日本社会人野球協会日本野球連盟=JABAの前身)と日本産業野球連合会。

毎日新聞社スポーツニッポン新聞社が後援となっており、当時から両社の社会人野球における影響の大きさが伺える。

ちなみに、現在の都市対抗と日本選手権は、いずれも日本野球連盟毎日新聞社が主催しており、スポニチは後援している。

なお、サンベツでは毎日やスポニチの他にも、通商産業省(現:経済産業省)、文部省(現:文部科学省)、大蔵省(現:財務省)、運輸省(現:国土交通省)、旧・経団連なども後援した。

 

サンベツでは都市対抗と同じく補強制度も採り入れた。

都市対抗で補強制度が採用されたのは1950年(昭和25年)のこと。

この年からプロ野球が二リーグ制となり、前年の8球団からほぼ倍増の15球団となったため、社会人野球から多くの選手が引き抜かれた。

そこで、レベル低下を恐れた社会人野球では、都市対抗の予選で敗れた同地区のチームの中から、出場チームは補強選手を自チームに入れても良い、という制度にしたのである。

補強制度は現在も都市対抗で続けられており、他のスポーツに類を見ない独特の制度と言えるだろう。

都市対抗」なのだから、別にこれでもいいとも言える。

 

サンベツの場合は、予選は同業種で行われるのだから、たとえば松下電器がサンベツに出場したとすると、予選で敗れた東芝の選手を自チームに引き入れる、ということもできるわけだ。

松下電器東芝が奇跡の融合、なんてことも有り得るのである。

もし補強選手が産業スパイだったら……、なんて逞しい想像を働かせる人もいるに違いない。

 

1952年(昭和27年)の第2回サンベツ大会に、異色のチームが出場した。

それがキャバレー春美である。

キャバレー・チームが社会人野球の全国大会に出場!?

つまり、サンベツにはキャバレー部門でもあったのか??

 

2003年(平成15年)に発行された社会人野球専門誌の「グランド・スラム22号(小学館)」によると、第2回サンベツ大会でキャバレー春美は百貨店部門の予選に出場した、とある。

新しい部門のチームが誕生すると、便宜上近い業種の予選に編入された、と記事には書かれていた。

それにしても、百貨店とキャバレーでは、あまりにも業種が違いすぎないか?

 

そこで当時の毎日新聞を調べてみると、キャバレー春美は百貨店・商業部門の代表となっている。

たしかにキャバレーは商業部門には違いないが、あまりにも大雑把だ。

ちなみに、第1回大会では百貨店部門と商業部門では分かれており、第2回大会から統合されたようである。

なお、この部門に立正佼正会が出場していた頃は百貨店・商業・宗教部門となっていたようだ。

もう、こうなると意味不明である。

要するに、キャバレーと宗教は同業種と見られていたわけか(注1)

 

さて、キャバレー春美とはどんなチームだったのだろう。

そもそも、どんな理由で社会人野球に参加しようとしたのだろうか。

店名から考えると超ありふれた名前なので、駅前にあるしなびたキャバレーを連想するが、仮にも全国大会に出場するだけの社会人野球チームを擁しているのだから、そこらへんにある個人経営のキャバレーであるはずがない。

おそらく、キャバレー・サンキャバレー・ロンドングランシャトーに比肩する大資本による遊興娯楽施設だったのだろう。

 

しかし、調べてみても資料が少なすぎて、キャバレー春美なる店がどんな施設だったのかも全くわからないのだ。

それでも、野球部があったことは間違いない。

しかも、単なる同好会ではなく、キャバレー春美の名前を売るために、本気で強化していたと思われる。

 

そこで、当時の毎日新聞をシラミ潰しに調べてみた。

さすが社会人野球に精通しているだけあって、サンベツ予選をちゃんと報じてくれている。

しかし、そこに載っていたのは、百貨店・商業部門決勝で北海道農協連(ホクレン)がキャバレー春美を9-7で下して、サンベツ出場を果たしたという記事だった。

 

これはどういうことなのか。

キャバレー春美は第2回サンベツに出場してなかったのか?

 

さらに後日の記事を調べてみると、その謎が解けた。

優勝したホクレンはどういう理由かはわからないがサンベツを棄権、準優勝のキャバレー春美が繰り上げ当選で百貨店・商業部門の代表となったのだ。

ところで、農業関連であるホクレンがなぜ百貨店・商業部門なのかもよくわからない。

ちなみに、現在では百貨店の強豪チームといってもピンと来ないだろうが、かつては巨人や阪神でエースとして活躍した小林繁投手が全大丸の出身だったことからもわかるように、当時のデパートは野球に力を入れていたのである。

 

晴れてサンベツ出場を果たしたキャバレー春美だったが、どんなチームだったのか知りたい。

毎日新聞のチーム紹介によると、

ホクレンが棄権したために代表となり、荒削りだが調子に乗ると手が付けられない打力を持っている」

と評されている。

 

そして初戦の相手は、鉄鋼部門代表の富士製鉄。

現在の新日本製鐵新日鉄)である。

毎日新聞の予想では、

「富士製鉄は室蘭、釜石、広畑を合併している上に、八幡製鉄からバッテリーを補強しているので有利」

となっている。

今の感覚で言えば、北海道の新日鉄室蘭(廃部)、岩手の新日鉄釜石(廃部)、兵庫の新日鉄広畑(現:新日鉄住金広畑)の連合チームに、福岡の新日鉄八幡(廃部)からバッテリーを補強しているのだから、強くないわけがない。

この頃の富士製鉄は、サンベツでは全富士製鉄として参加していたようだ。

 

一方の毎日新聞によるキャバレー春美の寸評はこうなっている。

「南海ー名古屋にいた左腕の丸山投手以外は無名選手が多く、富士製鉄が有利だが丸山投手の投手力は軽視できない」

 

南海とはもちろん、南海ホークス(現:福岡ソフトバンク・ホークス)のことであろう。

名古屋とは、名古屋ドラゴンズ(現:中日ドラゴンズ)のことだと思われる。

南海と中日に在籍した左腕の丸山投手を調べてみると、丸山二三雄投手に違いないという結論に至った。

丸山投手は中日を退団したあと、大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)で1年間だけプレーしているが、キャバレー春美に入社した丸山投手に間違いなかろう。

ちなみに丸山投手は、プロ実働8年で45勝62敗という成績を残していた。

丸山投手がキャバレー春美に身を投じたのは、27歳の時である。

野球選手として、まだまだ脂が乗り切る時期であった。

いずれにしても、キャバレー春美は元プロ選手を雇えるほどの会社組織だったのだ。

当時はまだ、柳川事件(注2)が起こる遥か前。

元プロ選手が社会人野球でプレーしていたのである。

 

では、キャバレー春美と富士製鉄のサンベツ一回戦はどうなったか?

結果は、1-7でキャバレー春美の完敗である。

先発した丸山投手は初回早々富士製鉄打線に捕まったようだ。

これが、味方のエラーによるものかどうかは定かではない。

ただ、当時のプロとアマの差は、現在よりもずっと小さかったようである。

実際に、当時の新聞記事を見ると「大学選手の大半はノンプロへ」という見出しが躍っていた。

ノンプロ、というのも今や死語だが、要するに社会人野球のことである。

当時の大学出のスター選手たちは、明日をも知れぬプロ野球よりも、大企業の下で安定した生活を保証されながら野球も楽しめる社会人野球を選択することが多かったのだ。

 

プロ選手を含むキャバレー春美を一蹴した富士製鉄だったが、二回戦では全藤倉に1-10で惨敗している。

全藤倉はこの大会で優勝したが、現在では野球部は活動していない。

 

さて、キャバレー春美が社会人野球の全国大会に出場したのは、後にも先にもこの時だけの1回こっきりである。

では、キャバレー春美とは、どんな店だったのか?

ネットで検索しても、全くヒットしないので、おそらく閉店したのだろう。

 

せめて場所だけでも知りたいのだが、なにしろ出場したのがサンベツなので、場所が特定できないのである。

サンベツ予選の決勝で対戦したのが北海道のホクレンだったのだから、どんな地区だったのかわからない。

ちなみに、キャバレー春美がホクレンとサンベツ予選決勝を行ったのが京都の西京極球場(現:わかさスタジアム京都)だったので、ひょっとすると京都にあった店ではないか、と予想した。

どうでもいいことだが、当時のサンベツ予選は大変だっただろう。

都市対抗予選なら同じ地区なので大した移動はないが、サンベツだと予選とはいえとんでもない遠征を強いられる。

ホクレンなど、北海道からわざわざ京都まで予選に出掛けたのだ。

おそらく当時は、飛行機の国内便もおいそれとはなかったので、青函連絡船と鉄道を乗り継いではるばる京都まで辿り着いたと思われる。

そこまでして得たサンベツ出場だったのに、なぜ棄権したのだろう。

 

今回はホクレンではなく、キャバレー春美について調べているので、そちらにシフトすると、やはり京都にはなかったようだ。

そこで、都市対抗予選に注目してみた。

都市対抗なら、地域別に予選を行うので、キャバレー春美も都市対抗の地区予選に出場しているはずである。

 

すると、遂に見つかった。

キャバレー春美がサンベツに出場する4ヵ月前、都市対抗兵庫県予選決勝で敗れている。

相手は奇しくも、4ヵ月後に後楽園でサンベツ一回戦を戦う富士製鉄。

この時の富士製鉄はおそらく連合チームではなく、広畑のみのチームだろう。

それでもキャバレー春美は、0-7の完敗だった。

なお、毎日新聞では第一次予選決勝ということで詳しくは報じておらず、チーム名も「春美」としか書いていなかったが、おそらくキャバレー春美に間違いはなかろう。

要するに、キャバレー春美は兵庫県にあったのだ。

 

でも、キャバレー春美を兵庫や神戸で検索しても、全くヒットしない。

キャバレー春美とは、野球界はもちろんキャバレー界からも、歴史に埋もれた存在なのだろうか。

キャバレー春美がどんな店だったのか、あるいはどんな動機で野球部を保有しようとしたのか、そのあたりの経緯を知りたい。

 

ついでに言えば、キャバレー春美というネーミングは、できるならば代えてもらいたいと個人的には思う。

なぜなら、身内に同じ名前の人物がいるから――。

 

 

(注1)……同業種

高度成長期を終えた日本は業種が曖昧となり、サンベツの意味が薄れてきた。そこで補強制度のない、純粋な社会人日本一を決める日本選手権を行おうという機運が高まり、サンベツを発展的解消し関西に拠点を移して、1974年(昭和49年)に阪神甲子園球場で第1回社会人野球日本選手権が開催された。現在の開催球場は京セラドーム大阪。

 

(注2)……柳川事件

1961年(昭和36年)、中日ドラゴンズ日本生命柳川福三選手と強引に入団契約を交わしたために社会人野球側が激怒し、プロ・アマ断絶を言い渡した事件。

以来、プロ野球を経験した選手は社会人野球でプレーできなかったが、現在では雪解けし、元プロ選手でも社会人野球でプレーできるようになった。