野球の歴史を調べていると、クリケットの存在は無視できない、ということは以前に書いた。
野球のルーツがクリケットではないとはいえ、ベースボールはクリケットを意識して発展してきた、と言えそうだからである。
日本人にはクリケットは馴染みがなく、よくわからないという方がほとんどだろうが、詳しいことはこちらを読んでいただきたい。
さて、そんなわけでクリケットに興味が出てきたわけだが、ちょうど6月13日にクリケット関西学生選手権が京都府宇治市の京都府立山城総合運動公園(通称:太陽が丘)で行われると知って、早速行ってみることにした。
この話を、やはりクリケット未体験で社会人野球関係者のMさんにすると乗ってきて、二人で観戦することになったのである。
ただし、時期は梅雨の真っ只中。
クリケットは野球と同じく雨天だと中止なので、もし雨が降ってしまうとクリケット生観戦という滅多にない機会を逃してしまう。
だが、Mさんは晴れ男らしく、梅雨が嘘のように引いて青空が広がった。
いわゆる梅雨の合間の五月晴れ、というヤツである。
しかし、あまりの晴れ男というのも困ったもの。
この時期は夏至に近いだけあって、真夏よりもよほど紫外線が強いのだ。
そのため僕は、日焼け止めクリームを塗りまくり、サングラスをかけ、さらに冷たい麦茶を魔法瓶に詰めて持参するという完全装備で挑んだのである。
太陽が丘というだけあって、昼前の11時頃に着いたのだが、6月にもかかわらず既に真夏並みの暑さだった。
先が思いやられる……。
本来なら、クリケットは芝生に覆われた楕円形のフィールド(オーヴァル)で行われるのだが、日本にそんな贅沢な場所はほとんどない。
バウンダリー(ここを越えると、野球でいうホームランやエンタイトル・ツーベースのような扱いになる)の線も引いているわけではなく、石垣を境界線としているようだ。
とはいえ、太陽が丘はかなり広い敷地で、野球場を含めあらゆるグラウンドが何面もある。
大阪にはこんな広大な運動公園はないなと羨ましく思いつつ、球技場Aというグラウンドに足を踏み入れた。
そこでは既に第一試合の同志社大学×京都学園大学の試合が行われていた。
だが、どちらがどちらの大学か、全くわからない。
どちらのチームがリードしているかもわからない。
なにしろ、スコアボードというものがないのである。
少し遅れてMさんがやってきた。
もちろん、球技場Aにはスタンドなんてないが、一応ベンチはあったので、そこに腰掛けて観戦していた。
観戦に来ているのは、関係者を除いて我々二人だけらしい。
ふと後ろから「あれって、何やってんの?」という女性の声が聞こえてきた。
おそらく、クリケットなんて見るのは初めて、というより、そんな言葉すら知らないかも知れない。
もちろん、その女性たちが球技場Aに留まることなく、その場を去った。
僕も、前回にネタランで書いたように、ある程度は学習してきたとはいえ、なにしろ初めての生観戦である。
実際に見てみると、わからないことも多い。
たとえば、「ナイス・ボウリング!」なんて声がかかる(ボウリングとは野球でいうピッチング、即ち投球という意味)。
でも、アウトに取ったわけではない。
なのに、何が「ナイス」なのか、わからないのである。
あるいは、1オーバーを終わると「ナイス・オーバー!」などと言ってボウラー(投手)に守備側のチームが駆け寄る。
おいおい、アウトを一つも取っていないどころか、点を取られてるんだぜ?
でも試合を見ていると、追い追いその意味がわかってくる。
ここで行われているのは「トゥエンティ・トゥエンティ(T20)」という、1イニング制20オーバー限定の試合形式。
守備側にとって、アウトを取ることも重要だが、20オーバー制限があるので、1オーバーの間にできるだけ点(ラン)を取られないようにすることも重大な戦略となるのだ。
打者有利のクリケットでは、1オーバーの間に1~2ラン(1~2点)ぐらい取られても仕方がない。
ちなみに、1オーバーとは6球で一区切りの単位。
このあたりの詳しいことは、しつこいようだがこちらを参照されたい。
6球で1オーバー、そしてボウラーが交代するのはクリケットの大原則だが、ストライカー(打者)が打てないようなとんでもない球は「ワイド・ボール(野球でいうボール球に相当)」と呼ばれ、相手に1ラン(1点)が加わるばかりか、その投球はオーバーの中には組み込まれない。
従って、ワイド・ボールばかりを投げているボウラーは失点を重ねるばかりか、いくら投げても1オーバーが終わらないのである。
本人にとってもチームにとっても辛い状況だろうが、クリケットのルール上は1オーバーを終えない限り、ボウラーを交代させることはできない。
この日の試合でもそんな場面があったが、その時に攻撃側チームから、
「ボウラー、ビビってる!ヘイヘイヘイ!!」
というヤジが飛んだ……、なんてことはなかったので悪しからず。
試合は裏の攻撃であることはわかったが、前述したようにスコアボードがないのでどちらのチームの攻撃か、あるいは何点差なのかはわからない。
アウトがいくつなのか、オーバーはどれだけ消費したかすらわからないのである。
ただし、ちゃんと記録員のような人はいて、選手たちが彼らに時々確認していた。
そして、飛んできた声が、
「あと2ラン(2点)で逆転!」
というものだった。
そして、後攻チームがアッサリ2ランを奪って逆転サヨナラ勝ち!
……と思いきや、
「ゴメンゴメン、あと2ランや!」
の声。
なんとものどかなものである。
それでも、後攻チームがさらに2ラン奪って逆転サヨナラ勝ちした(※)。
ちなみに、T20の場合は1イニング制なので、後攻チームが勝つときは必ず「逆転サヨナラ勝ち」である(ワンデイ・マッチも同じ)。
まあ、先攻チームが0ラン(0点)の場合は”逆転”にはならないのだが、そんな奇跡はなかろう。
第一試合が終わり、第二試合は四天王寺大学×上宮高校の一戦。
「大学生と高校生が戦うの?」
と思われるかも知れないが、高校にクリケット部があるの日本広しといえども上宮高校だけ。
それどころか、上宮には中等部にもクリケット部があるのだ。
クリケットを始めるのはほとんどの選手が大学からだろうし、その意味では上宮高校の選手の方が、クリケット歴は長いに違いない。
その上宮が試合前に、野球でいうシート・バッティングのような練習をしていると、僕の方にボールが転がってきた。
これ幸いとばかりに、僕はそのボールを捕って、彼らに投げ返した。
初めて手にするクリケット・ボール。
赤い色で縫い目があり、思ったより軽かったが、野球の硬球のように硬かった。
できれば写真に撮りたかったが、彼らだって貴重な練習時間だろうし、捕ってすぐにボールを返してしまった。
それにしても、こんな硬いボールを素手で捕るなんて(ウィケットキーパーを除く)、彼らは痛くないのだろうか。
いや、実際に球を捕った時に「イテテテ!」と叫んでいた選手もいたが……。
上宮高校×四天王寺大学の一戦は、上宮の先攻で始まった。
上宮は派手に打ちまくるが、どのぐらいがセーフティ・リードかわからない。
なにしろ、クリケットではアウトになることが滅多にないのだ。
クリケットはアウトにならない限り、バッツマン(打者)は交代しないが、さっきからずっと同じバッツマン二人が打ち続けている(クリケットでは、バッツマンは常に二人)。
上宮は1アウトも取られないまま、ウォーター・ブレイクとなった。
ウォーター・ブレイク、という言い方が正しいのかどうかは知らないが、要するにクリケットでは片方のチームが長時間にわたって守りっぱなしになるので、イニングの途中に休憩を入れるのである。
当然、水分補給が行われるのだろう。
ちなみに、4~5日にわたるテストマッチや、6時間以上にも及ぶワンデイ・マッチの場合は、ティー・タイムやランチ・タイムまであるのだ。
この時、我々の近くで守っていた四天王寺大の選手が近付いて来て、
「クリケットって、わかりますか?」
と訊いてきた。
クリケットを見に来る人がいるなんて、よっぽど珍しかったのだろう。
「クリケットを見るのは初めてやけど、一応は予習してきたから大丈夫」
と僕は答えた。
今度は僕が質問した。
「君はどうして、クリケットをやろうと思ったの?」
「いや、中学の時からずっとやってたんです」
ちゅ、中学から!?
「中学ということは、上宮中学?」
「ハイ、そうです!」
そう言って彼はベンチに戻って行った。
高校はもちろん、中学でもクリケット部がある学校なんて、上宮以外にはない。
なぜ中学時代にクリケットをやろうと思ったのか、それを聞きそびれてしまった。
彼が大学一回生だとしても、7年も前の話である。
7年前に、日本でクリケットをやろうと思った人物が、どれだけいただろうか?
そして彼は、現在は四天王寺大学に通っている。
関西でクリケットを行っている大学なんて、今日の太陽が丘に集まった四天王寺大学、同志社大学、京都学園大学の三つしかない。
おそらく彼は、クリケットを続けるために四天王寺大学に進学したのだろう。
彼は大学を卒業しても、クリケットを続けるのだろうか。
ここでMさんは所用があるため、お別れとなった。
僕は腹ごしらえのために、太陽が丘内にあるレストランへカツ丼を食いに行く。
レストランから戻ってみると、さっきまでの快晴がウソのように曇ってきた。
心地良い涼しい風が吹いて、絶好のスポーツ観戦日和になったのである。
晴れ男がいなくなると、お天道様もお隠れになったのだ。
クリケットに話を戻すと、攻撃側は二人のバッツマン同士の呼吸が大切なことがわかった。
クリケットでは、アウトになるようなボテボテのゴロを打ったとき、野球と違い無理して走る必要はない。
全てはバッツマンの判断に任されるのだ。
その際、二人のバッツマンによる連携プレーが必要である。
片方のバッツマンが走っても、もう片方のバッツマンが走らなければアウトになってしまう。
そこで、バッツマン同士による声の連携がある。
走るときは「Yes!」、走らないときは「No!」あるいは「Wait!」などと叫んでいたようだ。
時には「イエス、イエス……、いや、ノー、ノー!」なんて叫んで、相手のバッツマンが慌てて戻る場面もあったが……。
野球で言えば、ベース・コーチャーの役目をお互いのバッツマンが負わなければならないのである。
守備では、フィールダー(野手)がラン・アウトを取ろうとするとき、アウトになりそうな方のウィケットに投げればいいのだが、基本的にはウィケットキーパー(捕手)に送球するようだ。
考えてみれば、他の選手はみんな素手で、ウィケットキーパーだけ両手にグラブ(厚手の手袋のような物)をはめているのだから、強い送球を捕ることができるのはウィケットキーパーだけである。
もっとも可能なら、近い方のウィケットに直接当てればいいのだが。
ここで、クリケットのプレイを連写で見ていただこう。
ボウラーは野球のピッチャーと違い、助走をつけて投げることができるが、肘を曲げてはいけない。
ノーバウンドで投げてもいいが、普通はワンバウンド投球だ。
ストライカーのバッティングはどうか。
バッツマン(ストライカーとノンストライカー)はフェイス・ガード付きのヘルメットにレガースという、かなりの重装備。
クリケット用具なんて日本のスポーツ用品店には売ってないだろうから、ネット販売で購入するのだろう。
フォームは、野球のバッターと違って大上段に構えるのではなく、ワンバウンド投球に備えて下段に構えるのが特徴である。
野球では邪道とされるアッパー・スイングが、クリケットでは基本だ。
Mさんは、ゴルフのようなスイングですね、と言っていた。
そして、ウィケットを守るために球を当てるだけのディフェンシブ・バッティングと、ランを稼ぐために思い切り振るアタッキング・バッティングがある。
また、クリケットにはファウル地域はなく、360°どの方向に打ってもいいので、野球ではミス・ショットのような真後ろに飛ぶ打球でも走って、ランを稼ぐ(点を取る)こともある。
試合の方は、上宮の攻撃が終わり、その裏の四天王寺大の攻撃が始まった。
上宮が何点取ったのかはわからない。
それでも、守備に回った上宮が順調にオーバーを重ね、アウトを取っていることはわかった。
そして、試合開始から3時間20分ぐらいだろうか、上宮のボウラーが四天王寺大ストライカーの見送りによってウィケットを奪い、喜びを爆発させた。
それが勝利を意味することが、僕にもわかった。
ウィケットを奪って試合終了ということは、要するに20オーバーの前に、上宮が10アウトを取ったのである(クリケットでは10アウトでイニング終了)。
後で上宮クリケット部のサイトを調べてみると、上宮175-70四天王寺大という圧勝だった。
一番打者の山下という選手は、19オーバーまでアウトになることなくずっと打ち続け、6ラン(野球でいうホームランに相当)を5本も打って、一人で74ラン(74点)も稼いだという。
クリケットにおけるセーフティ・リードは何点か全くわからないが、先攻だった上宮は175ラン(175点)を奪った時点で、勝利を確信していたのだろうか。
午後4時頃、太陽が丘を後にした。
車中のラジオでは、プロ野球のオリックス・バファローズ×阪神タイガースを放送していた。
結果は、15-1でオリックスの圧勝。
これがクリケットなら、14点差なんて簡単にひっくり返せるのに……、などと思いながらハンドルを握っていた。
※【追記】
協会のサイトによると、第一試合の先攻チームは京都学園大学だった。
76-72で同志社大学の勝利となっているので、同点になったあと4ランを打ってサヨナラ勝ちしたと思われる。
曖昧な記憶でスイマセン。
おまけショット:なぜか太陽が丘内に展示されていた、蒸気機関車C11