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ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

消えた球団(17)~メジャー・リーグ・ベースボール(MLB)編①

メジャー・リーグ・ベースボール(MLB)編①

ナショナル・リーグ(8球団:1876年-)~現在(15球団)

アメリカン・アソシエーション(6球団:1882年-1891年)~消滅(最大12球団)

ユニオン・アソシエーション(12球団:1884年)~消滅

プレイヤーズ・リーグ(8球団:1890年)~消滅

アメリカン・リーグ(8球団:1901年-)~現在(15球団)

フェデラル・リーグ(8球団:1914年-1915年)~消滅

 

世界最大のプロ野球組織である、北米のメジャー・リーグ・ベースボール(MLB)

現在も存在するナショナル・リーグアメリカン・リーグは日本でも有名だが、上記を見ればわかるようにメジャー・リーグとはこの二大リーグだけではない。

かつて存在したリーグの中で、メジャー・リーグとして現在も認められているのは、現存する両リーグ以外で4つもあるのだ。

しかも、これら以外にも黒人リーグとして知られるニグロ・リーグ複数のリーグあり)や、ナ・リーグの前身であるナショナル・アソシエーション・オブ・プロフェッショナル・ベースボール・プレイヤーズ(NAPBBP)などのプロ野球リーグもあったのだから、アメリカ野球史の奥深さには感心してしまう。

 

史上初のプロ野球チームは、1869年に創設されたシンシナティ・レッドストッキングスだ。

ちなみに日本では、その前年に明治維新が起こったのだから、日本人はまだ野球のやの字も知らない頃である。

シンシナティ・レッドストッキングスは西海岸を含む全米各地を転戦し、一説には84連勝とも言われる圧倒的な強さで大人気を博した(92連勝や81連勝、69連勝といった説もあり)。

しかし、シンシナティ・レッドストッキングスの成功を見るにつけ、他の大都市にもプロ球団が出現し、シンシナティ・レッドストッキングスは選手の引き抜きに遭って、1971年にはゲームができない状態になった。

史上初のプロ球団は、史上初の「消えた球団にもなったのである。

 

プロ球団が出現したことにより、アマチュア組織だったナショナル・アソシエーション・オブ・ベースボール・プレイヤーズ(NABBP)はまもなく崩壊し、シンシナティ・レッドストッキングスが解散した1871年に、ニューヨークで史上初のプロ野球組織である前述のNAPBBPが9球団により発足した。

ちなみに、日本に野球が伝わるのはその翌年、1872年(明治5年)のことである。

 

シンシナティ・レッドストッキングスの選手兼監督だったハリー・ライトは数人の選手と共にボストンへ移り、NAPBBPに参加することになる新球団のボストン・レッドストッキングスに入団した。

このボストン・レッドストッキングスこそが、現在のアトランタ・ブレーブスナ・リーグである。

NAPBBPの初年度にはシカゴ・ホワイトストッキングスというチームも加盟しているが、これが現在のシカゴ・カブスナ・リーグだ。

つまり、この両球団が現存する最古のプロ球団ということになる。

特にシカゴ・ホワイトストッキングスはチーム名こそ変わったとはいえ、球団発足以来一度たりとも本拠地移転を行っていない。

2015年現在、144年間もずっとシカゴに根を下ろしているのだから恐れ入る。

しかし、このNAPBBPも賭博や八百長などの不正が横行したため、僅か5年で崩壊してしまう。

 

NAPBBPが消滅した翌年の1876年に、現在まで続くナショナル・リーグが発足。

奇しくも、アメリカ合衆国が建国して100周年のことだった。

ナ・リーグはNAPBBPの失敗を糧とし、かなり厳しい制約を各球団に課した。

八百長や賭博の撲滅はもちろん、球場内での酒類の販売は禁止、さらに日曜日の試合開催も行わない。

最も集客が望める日曜日になぜ?と思われるだろうが、アメリカはキリスト教の国、日曜日は安息日として試合を禁じたのだ。

また、経営基盤を安定させるために、選手の移籍を制限した。

さらに、本拠地も人口7万5千人以上の都市に限られ、球団の多くは東海岸に集中したのである。

ナ・リーグに参加した球団のうち、最も西にあった都市はセントルイスであり、西海岸からは遠く離れている。

だが、これだけ厳しい制約があったため、除名や解散を余儀なくされる球団が続出した。

まだまだ安定したリーグ運営には程遠かったのである。

その一方で、加盟を申請する新球団も多く、ナ・リーグは球団を増やしていった。

この頃のナ・リーグは、除名と新加盟の繰り返しで、球団が激しく入れ替わっている。

 

また、ナ・リーグが発足した頃の野球は、現在とはかなりルールが違っていた。

例えば投手は上手投げが認められておらず、全て下手投げだったのである。

さらに、ナ・リーグが設立された1976年には、初めてベース・オン・ボールズ(ウォーク)が適用された。

ベース・オン・ボールズとは要するに現在の四球だが、この頃はフォアボールではなく、ナインボールで一塁に歩くというルールだったのだ。

ベース・オン・ボールズの規定は年々変わり、1球ずつボール球が減って、現在と同じフォアボールとなったのは13年後の1889年のことである。

なお、投手が現在のような上手投げが認められるようになったのは1884年のことだ。

 

1882年、2番目のメジャー・リーグとしてアメリカン・アソシエーション(現存する同名の独立リーグとは無関係)が6球団で発足。

アメリカン・アソシエーションはナ・リーグへの対抗策として、ナ・リーグでは禁じられていた酒類の販売を積極的に行い「ビア・アンド・ウィスキー・リーグ」と呼ばれた。

さらに、英国のクリケットのように上品なゲームを目指すナ・リーグに対し、日曜日に試合を開催したり、入場料をナ・リーグの半額にしたりして、大衆でも気軽に観戦できる環境にしたのである。

 

アメリカン・アソシエーションの初年度には、シンシナティ・レッドストッキングスという球団が加盟した。

そう、史上初のプロ球団と同名のチームだ。

これが現在のシンシナティ・レッズナ・リーグである。

「レッズ」とはもちろん「レッドストッキングス」の短縮形だが、史上初のプロ球団であるシンシナティ・レッドストッキングスとは全く関係はない。

現在のシンシナティ・レッズを最古のプロ球団と思っている人もいるが、それは誤りだ。

アメリカのプロ野球には同名ながら別組織という例が多々あるので、今後とも覚えておきたい。

ちなみに、ナ・リーグ創設の初年度にもシンシナティ・レッズという球団が加盟しているが、こちらは球場で酒類を販売していたためにリーグから除名され、解散を余儀なくされている。

なお、同年にはピッツバーグアレゲニーズ(現:ピッツバーグ・パイレーツナ・リーグセントルイス・ブラウンズ(現:セントルイス・カージナルスナ・リーグという、現存する球団が加盟していた。

また、2年後の1884年にはブルックリン・アトランティックス(現:ロサンゼルス・ドジャースナ・リーグが加盟しているので、アメリカン・アソシエーションには現存するチームが4球団も存在したことになる。

 

アメリカン・アソシエーションは翌1883年は8球団、翌々1884年には12球団まで拡張するが、これは1884年に12球団で設立された第3のメジャー・リーグとなるユニオン・アソシエーションへの対抗策だと言われる。

しかし、ユニオン・アソシエーションは基盤が脆弱で、僅か1年で解散。

なお、ユニオン・アソシエーションにはミルウォーキー・ブルワーズワシントン・ナショナルズといった球団が加盟していたが、現存する同名球団とは一切関係がない。

 

この年から、アメリカン・アソシエーションとナ・リーグの優勝チームによる年間王者決定戦、今で言うワールド・シリーズの原型のような試合も行われた。

アメリカン・リーグが登場する前、既に二大リーグ制のような形になっていたのである。

このシリーズは1884年~1990年まで行われ、結果はナ・リーグ勢の4勝1敗2分だった。

アメリカン・アソシエーションは結構長く続き、成功の部類に入るかもしれないが1891年を最後に解散、10年間の命だったのである。

 

アメリカン・アソシエーションが解散する前年の1890年には第4のメジャー・リーグであるプレイヤーズ・リーグが発足するが、これも僅か1年で解散した。

なお、ユニオン・アソシエーションやプレイヤーズ・リーグには、現存する球団はない。

 

アメリカン・アソシエーションが崩壊して、1892年から再びメジャー・リーグはナ・リーグのみになった。

この頃になるとナ・リーグは12球団まで増えていたが、1900年に市場規模の小さい球団を整理して、リーグ結成当初と同じ8球団制に戻る。

この8球団はクラシック・エイトと呼ばれ、いずれも現存するMLB球団だ。

この結果、首府であるワシントンD.C.の他、ボルチモアクリーブランドルイビルの4都市からメジャー球団が消えてしまった。

これを絶好のチャンスと見て、中西部の中小都市で活動していたマイナー・リーグのウエスタン・リーグバン・ジョンソンという実力者を総裁に迎え、ナ・リーグの球団が集中する東海岸に進出し、さらに上記のうちルイビルを除く3都市に球団を設立して、ナ・リーグと同じ8球団制を採り名称もアメリカン・リーグと変え、20世紀に突入した翌1901年にメジャー・リーグ宣言してペナント・レースを開始した。

いよいよ二大リーグ時代の到来である。

 

ア・リーグは潤沢な資金ナ・リーグの選手を引き抜き、観客動員でナ・リーグを上回ることもあった。

思わぬ強力なライバルの出現に、ナ・リーグア・リーグを敵視したものの、やがて闘争の愚を悟り、共存の道を歩むようになったのだ。

そして1903年、両リーグの協定を結ぶナショナル・コミッションを設置し、リーグの優勝チーム同士による第1回ワールド・シリーズが行われた。

この年に両リーグのルールが統一され、野球規則が現在とほぼ同じになったのだ。

日露戦争が勃発する前年のことである。

この頃の日本では野球が盛んになってきたものの、まだまだプロ化には程遠く、ようやく第1回早慶戦が行われたような状態だった。

日本初のプロ野球チームが発足するのは、それから17年後の1920年に発足した日本運動協会まで待たなければならない。

日本運動協会も長くは続かず、職業野球リーグ、即ち現在のNPBが誕生するのは33年後の1936年のことだった。

それからのNPBは各球団が集合離散を繰り返しているが、MLBは二大リーグ制となった1901年からは1球団たりとも消滅・合併をしていない。

つまり、1899年以前のナ・リーグは、あれだけ球団が消滅したり加盟したりを繰り返していたのに、1900年以降では「消えた球団」は存在しないのだ。

もちろん、1901年に発足したア・リーグには「消えた球団」は一つもない。

ついでに言えば、1903年のナショナル・コミッション設置以来、50年間は球団移動すら全くなかったのだ。

それだけMLBの基盤が磐石になったと言える。

第二次世界大戦後になって航空機時代が到来すると、一転して本拠地移転する球団が続出、球団拡張(エクスパンション)も積極的に行われ、東海岸中心だったMLB球団は西海岸を含む全米に散らばり、球団数も二大リーグ制になった当初の16球団から倍近い30球団に膨れ上がった。

ちなみにNPBでは、1950年に2リーグ制となったものの、当初の15球団から現在は12球団に縮小している。

 

なお、MLBにナショナル・コミッションが設置されてから10年後の1913年に、ア・リーグに次ぐ第6のメジャー・リーグとしてフェデラル・リーグが発足、翌1914年から8球団によるペナント・レースが始まった。

だが、強固な体制となりつつあった既存のナ・リーグア・リーグには太刀打ちできず、僅か2年で解散。

このフェデラル・リーグが現在のところ、最後の「消えたメジャー・リーグ」となっている。

 

また、1960年代にはコンチネンタル・リーグという新メジャー・リーグ設立の機運が高まったが、こちらの方は頓挫してしまった。

しかし、このコンチネンタル・リーグ構想が後のMLBエクスパンションに繋がったのである。

(続く)

 

 

消えた球団シリーズ