今日(3月21日)、第86回選抜高等学校野球大会が開幕した。
開幕日の第3試合で大阪の私学強豪である履正社と、都立高としてはセンバツ初出場の21世紀枠・東京の小山台が対戦し、履正社が11-0で大勝した。
私学強豪と21世紀枠の公立校ではこの結果も仕方がないが、とにもかくにも東京vs大阪という「二都対決」で大阪が東京に勝利したのである。
何かと比較される、東西の大都市である東京と大阪。
先日、ネットで行われたアンケートでも「47都道府県で、ライバルはどことどこか?」という問いに対し、1位だったのが東京都vs大阪府だった。
僕も大阪出身なので「大阪好き、東京嫌い」という故・やしきたかじんのような人物だが、高校野球に関してはあまりいい思い出がない。
僕が初めて野球を見始めたのは1976年(昭和51年)からだが、この年の夏の高校野球の決勝戦では、西東京の桜美林が大阪のPL学園に延長11回の末4-3でサヨナラ勝ちしている。
僕はPLがある富田林市出身なので、悔しさは倍増だった。
しかもこの年、プロ野球では阪神タイガースが読売ジャイアンツと激しく優勝争いをしたものの、あと一歩で優勝を巨人にさらわれた。
僕の「東京憎し」の怨念は、この年に培われたのだろう。
その後も、大阪勢は東京勢に対して分が悪かった。
それが顕著だったのが80年(昭和55年)のこと。
春のセンバツでは強打で鳴らした大阪の北陽(現・関大北陽)が、一回戦で東京の帝京に2-0で完封負け。
帝京の二年生エース・伊東昭光に軽く捻られたのだ。
それでも北陽は夏の大阪大会を勝ち抜いて春夏連続甲子園出場。
強打にさらに磨きをかけ、優勝候補の呼び声が高かった。
だが、またしても一回戦で、帝京を破って甲子園出場した早稲田実業に6-0の完封負け。
しかもこの時は、早実の一年生投手・荒木大輔に1安打完封負けを喫したのだ。
強打を売り物にしていた北陽打線が、春夏とも東京の下級生投手から1点も取れなかったのである。
大阪の高校は永久に東京の高校には勝てないのではないか、とすら思ったほどだ。
高校野球だけではない。
この年、初めて高校ラグビーを見たのだが、花園の準決勝で東京の国学院久我山と大阪工大高(現・常翔学園)が対戦し、3-3の引き分けだったものの大工大が抽選負け。
抽選でも大阪は東京に勝てなかったのだ。
その後も大阪の雄・大工大は久我山や目黒(現・目黒学院)には勝てず、ラグビーでも大阪の高校は東京に勝てないのか、と落胆した。
さらに高校サッカーでも、当時は帝京と北陽がライバル同士と言われていたが、帝京がいつも北陽に勝っていたイメージがある。
野球だけでなく、サッカーでも北陽は帝京に負けていたのだ。
大阪が東京に対して分が悪いのは、必要以上に東京を意識するから、と言われたものだ。
確かに、大阪人は東京に対して異常なまでのライバル意識を燃やす。
一方の東京人は、大阪なんて単なる地方都市の一つに過ぎない、と思っているのだ。
そこで、東京VS大阪の甲子園での戦績を調べてみた。
春のセンバツ 東京vs大阪
1924年(第 1回)準決勝 早稲田実6-5市岡中
1950年(第22回)準々決 北野7-5明治
1954年(第26回)準々決 泉陽3-1早稲田実
1955年(第27回)一回戦 浪華商6-0立教
1957年(第29回)二回戦 早稲田実1ー0寝屋川
1961年(第33回)一回戦 浪商8-0日大二
1964年(第36回)二回戦 浪商7-2日大三
1965年(第37回)二回戦 PL学園4-2荏原
1969年(第41回)一回戦 浪商16-1日体荏原
1971年(第43回)決勝戦 日大三2-0大鉄
1980年(第52回)一回戦 帝京2-0北陽
1982年(第54回)決勝戦 PL学園15-2二松学舎大付
1984年(第56回)決勝戦 岩倉1-0PL学園
1987年(第59回)一回戦 関東一5-0市岡
1987年(第59回)準々決 PL学園3-2帝京(延長11回)
1987年(第59回)決勝戦 PL学園7-1関東一
1990年(第62回)一回戦 北陽4-3帝京
1994年(第66回)一回戦 PL学園10-0拓大一
1998年(第70回)二回戦 PL学園9-0創価
2002年(第74回)一回戦 大体大浪商5-4二松学舎大付
2004年(第76回)一回戦 大阪桐蔭5-0二松学舎大付
2014年(第86回)一回戦 履正社11-0小山台
全22戦 東京6勝 大阪16勝
夏の選手権
1916年(第 2回)決勝戦 慶応普通部6-2市岡中
1917年(第 3回)一回戦 慶応普通部5-3明星商
1946年(第28回)準決勝 浪華商9-1東京高師付中
1951年(第33回)一回戦 都島工7-5早稲田実
1957年(第39回)二回戦 早稲田実1-0寝屋川(延長11回)
1962年(第44回)二回戦 日大三5-2PL学園
1976年(第58回)決勝戦 桜美林4-3PL学園(延長11回)
1987年(第69回)準決勝 PL学園12-5帝京
1989年(第71回)二回戦 上宮1-0東亜学園
1991年(第73回)準々決 大阪桐蔭11-2帝京
2003年(第85回)一回戦 PL学園13-1雪谷
2004年(第86回)二回戦 日大三8-5PL学園
全14戦 東京8勝 大阪6勝
春夏通算 全36戦 東京14勝 大阪22勝
(2014年3月21日現在)
という結果になった。
春は大阪が圧倒し、夏は東京が競り勝っている、という図式だ。
通算では大阪がリードしている。
春の対戦が多いのは、春は大阪から2校、出場するケースが多いからだろう。
夏は東京からは東西2校出場するが、大阪からは10年毎の記念大会以外では1校のみ。
さらに、夏に比べて春は出場校数が少ないので、東京と大阪が対戦する可能性が増える。
春は大阪勢が8連勝中というのはちょっと驚きだ。
年度別で興味深いのは1957年。
この年は春夏ともに東京の早稲田実と大阪の寝屋川が対戦し、いずれも早実が1-0で勝っている。
当時の王は珍しかったノーワインドアップからの投球で打者を翻弄し、夏の寝屋川戦では延長11回を投げきってノーヒット・ノーランを達成。
寝屋川は王から春夏を通じて20イニングで1点も取れなかった。
1987年には、東京と大阪が春に3度、夏に1度対戦している。
春の二回戦では、東京の関東一が大阪の市岡に5-0で完封勝ち。
しかし準々決勝、大阪のPL学園が東京の帝京に延長11回の末サヨナラ勝ち。
さらに決勝戦でPLは、関東一を7-1で破って優勝している。
しかも夏の準決勝でPLは再び帝京と対戦し、12-5で圧倒した。
この年、PLは春夏連覇を果たした。
あと、記憶に新しいのは、2006年夏の早稲田実×大阪桐蔭の激突。
早実のエース・斎藤佑樹と、大阪桐蔭の二年生四番・中田翔との対決。
結果はハンカチ王子・斎藤がヤンチャな中田翔を4打席無安打3三振に斬って取り、早実が大阪桐蔭を11-2で圧倒した。
その後、早実は決勝戦で田中将大を擁する駒大苫小牧を再試合の末に破って、夏初制覇を果たした。
今回、調べてみて意外に思ったのは、大阪勢の公立校の多さである。
市岡(3回)、北野、泉陽、寝屋川(2回)、都島工と、延べ8校にも及び、東京勢(いずれも私学)に対し3勝5敗と健闘している。
一方の東京の公立勢は雪谷と小山台(21世紀枠)の2校だけで、もちろん大阪勢に2連敗。
そもそも、東京の公立勢は未だに甲子園で1勝も挙げていない。
大阪では府立校の北野がセンバツで優勝を果たしている。
元々、大阪の伝統ある府立校は進学率が高く、しかも文武両道を標榜している高校が多い。
一方の東京は、進学率が高いのも私学、スポーツで活躍するのも私学だ。
そのせいかどうかは知らないが、東京の高校野球のトーナメント表では「都小山台」などと、わざわざ「都」を頭に付ける。
そんなに都立高であることをアピールしたいのだろうか。
逆に東京のコンプレックスが感じられる。
それはともかく、大阪が東京に対してリードしているのは、やはり大阪が野球王国という証明なのかも知れない。