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ネターランド王国

国王:ハードフォーク安威川トークン

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:ハードフォーク安威川トークン」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

近鉄×南海、長野決戦

タイトルを見ると昔のプロ野球のようだが、今回は鉄道の話。

関西大手私鉄5社のうち、南大阪地域を走るのが近畿日本鉄道(近鉄)と南海電気鉄道だ。

近鉄は大阪から東に奈良方面へ走り、南海は南へ和歌山方面を目指す。

 

南大阪におけるライバル会社だが、両社は一時期合併したことがあった。

戦時中の1944年(昭和19年)、近鉄は当時、関西急行鉄道(関急)と名乗っていたが、その関急と南海鉄道が合併し、近畿日本鉄道となる。

しかし、この合併は所詮、軍部の都合によるものであり、終戦を迎えると同じ会社のままであるメリットもないので、1947年(昭和22年)に南海は近鉄と分離、南海電気鉄道として再出発することになった。

戦前からあったプロ野球の南海球団の名称が、1944年(昭和19年)に「近畿日本」となり、戦後の1946年(昭和21年)には「近畿グレートリング」と名乗っていたのは、そういう事情によるものである。

1949年(昭和24年)のオフ、2リーグ分裂騒動の際に近鉄がプロ野球に参入しようとしたが、それを後押ししたのが南海だった。

ライバルとはいえ一時は同じ会社だった仲間、プロ野球で共に儲けようという思いもあったのだろう。

 

話を鉄道に戻すと、合併した時の両路線に乗換駅はあったのだろうか。

結論から言えば、乗換駅はたった一つだけあった。

その唯一の乗換駅が河内長野駅である。

現在では南海の難波駅と近鉄の大阪難波駅も乗換駅だが、大阪難波駅の開業は1970年(昭和45年)と新しく(当時の名称は「近鉄難波駅」)、しかも両駅はちょっと離れており、隣り同士というわけではない。

そこへいくと河内長野駅は近鉄と南海の共同駅舎となっており、お互いのホームは仕切られているとはいえ隣り合っている。

両社の改札は別々になっており、乗り換え切符制度もないが、現在合併してもすぐに乗換駅として対応できるだろう。

 

現在の河内長野駅は、近鉄が長野線(南大阪線の支線)、南海が高野線の所属だが、先輩はどちらなのだろう。

先にできたのは南海の方で、1998年(明治31年)に大小路(現在の堺東)―狭山間を開通させた高野鉄道が、同年に河内長野駅(当時の名称は「長野駅」)まで延長したのが始まり。

高野鉄道はその後、高野登山鉄道、大阪高野鉄道と名前を変え、1922年(大正11年)に南海鉄道と合併、南海高野線となった。

 

一方の近鉄は、1898年(明治31年)に河陽鉄道が柏原ー古市間を開通させ、これを継承した河南鉄道が1902年(明治35年)に河内長野駅(当時の名称は「長野駅」)まで延長したのが元祖である。

こうして柏原ー長野間を全通させた河南鉄道は大阪鉄道(大鉄)と改称し、1923年(大正12年)に大阪進出を果たして大阪天王寺駅(現在の大阪阿部野橋駅)をターミナルとした。

そして1929年(昭和4年)、大和路延長計画により古市ー久米寺(現在の橿原神宮前)まで開通、吉野鉄道(現在の近鉄吉野線)と乗り入れて現在と同じく大阪阿部野橋駅から吉野駅まで直通運転をするようになった。。

このうちの大阪阿部野橋―久米寺間が、現在の近鉄南大阪線である。

この際、古市駅から真っ直ぐに東へ路線を延ばしたため、古市駅以南の長野駅までの路線が長野線という支線になってしまったのだ。

 

近鉄長野線は東高野街道(現在の国道170号線)、南海高野線は西高野街道(現在の国道310号線)に沿っている。

この両街道は河内長野駅付近で合流し、以南は高野街道となるが、その名のとおり霊峰の高野山に通ずる道だ。

即ち、近鉄(河南鉄道)も南海(高野鉄道)も、高野山への参拝客を見込んでの路線敷設だったのである。

しかし、南海が計画通り高野山方面まで路線を伸ばし、一方の近鉄は奈良・吉野方面へ行ってしまったため、両社の明暗が分かれてしまった。

南海高野線河内長野駅は極めて重要な駅であり、1983年(昭和58年)からは特急も停車するようになった。

一方の近鉄長野線における河内長野駅は単なる支線の終着駅、特急すら通ってくれない。

 

河内長野駅のインフラは、南海の方が圧倒的に上だと言っていい。

南海の河内長野駅は2面4線で、特急こうや、特急りんかん、快速急行、急行、区間急行、準急、各駅停車と、様々な種別の電車が絶えず停まっている。

一方の近鉄の河内長野駅は1面2線、現在では1番ホームは使われていないので、実質1面1線のみであり、電車が停まっていないことも多い。

停まっていたとしても、ほとんどが準急である。

 

ダイヤ面でも、南海はラッシュ時以外の平日昼間時でも1時間に約9本、難波へ行くのに最も便利な急行(快速急行を含む)がだいたい4本、さらに区間急行も2本ぐらいと、本数には事欠かない。

近鉄は、平日の昼間帯は大阪阿部野橋に向けて1時間に4本、準急のみの運行である。

平日のラッシュ時には急行も運行されるのだが、準急・急行を合わせても南海に比べるとその本数は遥かに少ない。

しかも2013年(平成25年)のダイヤ変更により、大阪阿部野橋行きの急行は富田林発となったため、河内長野発の急行はなくなった。

近鉄長野線は支線のため、本数が少ないのは仕方ないとも言えるのだが、実際には大阪阿部野橋への直通運転がほとんどだし、本数からすれば本線格の近鉄南大阪線(古市駅以東)よりも多いぐらいである。

それでも、河内長野駅では近鉄は南海に圧倒されている。

 

あと、大阪側ターミナルからの所要時間の問題もある。

南海のターミナルは難波駅、近鉄のターミナルはそれより南にある大阪阿部野橋駅で、距離的には近鉄の大阪阿部野橋駅の方が河内長野駅に近い。

ところが実際には、難波駅から南海電車に乗って河内長野駅に行こうとすると、特急、快速急行、急行で約28分、区間急行で約32分で、いずれに乗ってもおおよそ30分圏内である。

しかし、近鉄の大阪阿部野橋駅から河内長野駅に行こうとすると、準急、急行を問わずに40分くらいかかってしまうのだ。

Google等で検索すると、大阪阿部野橋駅から河内長野駅まで行くのに、大阪阿部野橋駅にほど近いJRの天王寺駅からわざわざ大阪環状線に乗せて、1駅向こうの新今宮駅で乗り換えさせ、そこから南海電車河内長野駅に行かせようとするのだ。

このルートだと、2回も乗り換えをしなければならないが、所要時間は約35分である。

乗り換えなしの近鉄電車での大阪阿部野橋河内長野よりも、5分も早い。

本数は少ない、時間も遅いでは、近鉄は南海に完敗である。

利用客数で言えば、南海の河内長野駅は1日約3万人、近鉄は半分以下の約1万3千人だ。

 

南海と近鉄の差があるのは、電車ばかりではない。

駅前のロータリーに停まっているバスは全て南海バスであり、近鉄バスの入り込む余地もない。

関西空港行きリムジンバスも南海で、河内長野駅周辺は完全に南海一色なのだ。

とてもこの駅に近鉄電車が乗り入れているとは思えない。

 

ともあれ、南海と近鉄の両路線が入り込んで来たからこそ、河内長野は発展したのだろう。

河内長野は大阪市内からは遠く離れ、すぐに南に行けばもう和歌山県である。

最近の河内長野市では、河内長野を「奥河内」と呼ぶようにしているようだ。

いかにも河内の奥座敷、という感じだが、便利さと自然を融合した街造りが理想だろう。

そこには南海や近鉄の協力が不可欠なのは言うまでもない。

 

良く言えば自然豊か、悪く言えばド田舎な河内長野市にあって、河内長野駅周辺は立派な駅舎やロータリー、商業施設やアーケード街もあり、地方都市としての存在感を示している。

果たして南海だけでは、これほどの立派な駅周辺になっただろうか。

やはり、南海と近鉄との乗換駅という条件により、充実した都市になったと思われる。

 

近鉄はご存知のように日本一の営業距離を誇る私鉄、それに比べると南海は規模が小さい。

それでも河内長野駅周辺では、南海が近鉄を圧倒している。

まるで昭和30年代、南海ホークスが近鉄バファローズを鷹ならぬカモにしていたみたいに……。