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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

春の想い出

今年も春のセンバツが開幕した。

「春はセンバツから」と言われるように、桜が咲くこの季節に甲子園での球音を聞くと、春の訪れを感じる。

 

センバツ正式名称は「選抜高等学校野球大会」という。

ちなみに夏の甲子園は「全国高等学校野球選手権大会」というのが正式名称だ。

つまり、センバツには「全国」が付かない。

これは、高校野球の全国大会が年に1回と決められているために、センバツより歴史の古い夏の甲子園が全国大会となっているので、センバツは「全国大会」ではないのだ。

つまりセンバツは「全国大会」ではなく「全国規模の大会」であり、性格上は「招待大会」である。

夏の大会は甲子園のみならず地方大会でも1回でも負ければ敗退だが、センバツには建前では予選はないので、各地区大会で負けた学校でも実力さえ認められれば、センバツに選ばれる。

ただし、そこに確固たる基準はない。

あくまでも選考委員による「目」で選抜されるのだ。

従って、不公平に思える「選抜」もある。

さらに、最近では「21世紀枠」も登場して、各地区大会で上位に進めなかった高校でもセンバツ出場することが可能になった。

だがそれが、夏の甲子園と違うセンバツの特色であり、招待大会と言われる所以だろう。

ただ単なる勝ち抜き戦では、選手権大会と全く変わらない。

他の高校スポーツでも選抜大会は行われるが、こんな基準で出場校を「選抜する」スポーツなんてないのではないか。

 

今大会は85回大会ということで、記念大会となる。

記念大会とは5年に1度の大会で「X0回大会」か「X5回大会」と、要するに下一桁が0か5の時に記念大会となるわけで、これは夏の大会も同じだ。

ただ、これも春と夏とでは微妙に違い、今年の春のセンバツは「第85回記念選抜高等学校野球大会」となるが、夏の甲子園は「第95回全国高等学校野球記念大会」と、春は「記念」が前に来るのに対し、夏は後に来る。

 

寒さが和らぎ、桜が咲く頃に行われるセンバツと、暑さ真っ盛りの中でプレーされる夏の甲子園とは、同じ高校野球といっても、やはり雰囲気は違う。

僕の記憶に残っている春のセンバツは、1979年(昭和54年)の第51回大会だ。

 

一回戦で、大阪のPL学園と浪商(現・大体大浪商)が同じ日に登場した。

これぞセンバツの特色で、同一都道府県の高校が一緒の日に登場するのは、夏の甲子園では北海道が東京しか有り得ない(現在では、10年ごとの記念大会に限って大阪や神奈川などが2校甲子園に出場する)。

しかも、センバツでは同一都道府県の高校は、決勝まで当たらないように配慮されるので、普通なら一回戦で同じ日に登場することは滅多にないのだが、組み合わせ上でPLがAブロックの最後、浪商がBブロックの最初となったため、奇跡的に同じ日にPLと浪商が登場したのだ。

 

この頃のPLと浪商は、超人気チームだった。

PLは前年の夏に甲子園出場、準決勝の中京(現・中京大中京)と決勝の高知商戦でいずれも奇跡的な逆転サヨナラ勝ちを決めて、「逆転のPL」「奇跡のPL」と騒がれた。

ちなみに僕はPL学園がある富田林市に生まれ育ち、この時の中京戦を甲子園で見ている。

 

一方の浪商は、エースの牛島和彦と「ドカベン」こと香川伸行のバッテリーで、大人気を博していた。

前年のセンバツでも出場したが、牛島ー香川のバッテリーは二年生の若さを露呈し、初戦敗退している。

その年の夏の大阪大会では早い段階で敗れ、全国優勝したPLにスポットライトを奪われていた。

しかし、新チームとなった秋季大会では近畿大会優勝、センバツでも優勝候補として堂々と甲子園に登場した。

 

PLと浪商を同時に見られる!

そう思ったファンは甲子園に殺到した。

当時小学生だった僕も、父親に連れられて甲子園に行った。

その頃の僕は、連れて行って欲しい場所といえば金がかかる遊園地などではなく、野球場だったのだから、父親にとっては有難かったに違いない。

何しろ、かかる金は電車賃と入場料だけで済むのである。

いや、高校野球の場合は、大抵は外野席だったのだから、入場料すらいらない。

今も昔も、高校野球での甲子園の外野席は無料だ。

つまり父親にとっての出費は電車賃と、せいぜい息子(つまり僕)へのジュースやかち割り代程度で、全く腹は痛まなかったのである。

父親本人は、日本酒を入れた魔法瓶を持参しているだから、自分の飲食代すら全くかからない。

 

我が子を無料の外野席にしか連れて行こうとしないとは、よほどセコイ父親だと思うかも知れないが、決してそうではない。

その頃の高校野球は春夏を問わず、特に人気チームが登場する日には、内野席やアルプス席の切符ははほとんど売り切れていたので、無料の外野席に行かざるを得なかったのだ。

地元のPLや浪商などの試合では、外野席以外で見た記憶がない。

 

この日の試合でもそうだった。

PLと浪商が同時に見られるとあって、まさしく押すな押すなの大行列。

僕と父親はなんとか外野席に入ることができたが、翌日の新聞を見て驚いた。

 なんと、この大行列のために観衆が将棋倒しになり、小学生が死亡したというのである。

たしかに凄い人出だったが、そんな痛ましい事故が起こっているとは思わなかった。

 

試合の方は、PLが中京商(現・中京)と激突。

中京商といえば中京と兄弟校であり、前年夏に「兄貴分」の中京がPLに逆転負けを喫した、因縁の対決である。

この年のセンバツは「近畿勢をマークしろ!」が合言葉だった。

前年夏の優勝校・PLをはじめ、近畿大会優勝の浪商、試合巧者の箕島、強打の東洋大姫路、尼崎北など、どこが優勝してもおかしくはない高校が揃っている。

もちろん、中京商の近藤監督も「近畿勢に照準を合わせてきた」と語っていた。

PLと中京商の対決は、PLが2-3と1点ビハインドの8回裏、のちに広島東洋カープで活躍する小早川毅彦の逆転打と山中潔のホームランにより、6-4で逆転勝ち。

前年夏から数えて、甲子園3試合連続の逆転勝ちである。

 

次の試合は浪商×愛知で、これまた近畿×東海対決。

PLと浪商は大阪府、中京商は岐阜県、愛知および前年夏にPLに逆転負けした中京は愛知県なのだから、とことん因縁の巡り合わせとなっている。

試合は、浪商のエース・牛島が噂に違わぬ速球で愛知打線を封じ、打っては四番の香川がバックスクリーン左に超特大の125mホームランを放ち、浪商が6-1で快勝した。

地元・大阪のチームが揃って勝ち、しかも「逆転のPL」と牛島―香川の大活躍が見れたのだから、浪速っ子にとって最良の日だったと言えるだろう。

 

その後PLは二回戦で宇都宮商と対戦、小早川が香川を超える130m超特大ホームランを放つも逆転を許し、それでも2-6の4点ビハインドから試合をひっくり返しての逆転勝ち。

これで甲子園4試合連続の逆転勝ちとなり「逆転のPL」の名はこのとき完全に定着した。

浪商は二回戦で前年夏の準優勝、PLを最後まで苦しめた森浩二投手を擁する高知商を3-2で辛くも退けた。

 

近畿勢は順調に勝ち進み、ベスト8進出は全て西日本勢と、完全に西高東低の大会となった。

PLは準々決勝で同じ近畿勢の尼崎北と対戦、やはり後に広島入りする阿部慶二のホームランなどによって7-1で完勝した。

阿部は二回戦の宇都宮商戦で史上初の2打席連続ホームラン、しかも最初のホームランは8回での同点2ランで、2本目は延長10回でのサヨナラホームランだったのだから、まさしく敗戦の危機を救う起死回生の二発だった。

1大会個人3ホーマーは、当時のセンバツ新記録(現在でもタイ記録)である。

 

実は準々決勝のPL×尼崎北は、僕はほとんど見ていない。

その頃の僕の家族は既に富田林市の隣町に引っ越していて、この日から泊まりがけで富田林市内にある、かつての「ご近所さん」の家に行く途中だった。

母親に連れられて富田林駅からタクシーに乗り、PL×尼崎北のラジオを聞きながら、高さ180mもあるPLタワーのすぐ傍を通ったのはやけに憶えている。

 

 

富田林市のランドマーク・高さ180mのPL大平和祈念塔(通称・PLタワー)。後ろに霞んで見える山は、遥か遠く離れた六甲山。その麓に阪神甲子園球場がある

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その「ご近所さん」には兄妹がおり、兄は僕の姉と、妹は僕と同い年だったこともあって、僕の家が引っ越す前から家族ぐるみでの付き合いがあった。

「ご近所さん」の家に着く頃にPL×尼崎北も終わり、残り試合もその家で見た。

浪商も川之江を4-3で破り準決勝進出したが、僕がよく憶えているのは準々決勝第4試合、東洋大姫路×池田の試合である。

第3試合でパラついていた雨はこの試合で本格的に降り出し、ナイトゲームになって雨が降り続いてもゲームは続行された。

8-1と東洋大姫路の大量リードで迎えた9回、池田は雨を利して大反撃、一挙6点を奪って1点差に迫った。

このとき、内野安打を打って一塁にヘッドスライディングした池田の選手の顔が真っ黒、一塁塁審が笑いながら真っ黒になった選手の顔を拭いていたのを妙に憶えている。

しかし池田の反撃もここまで、8-7で東洋大姫路がなんとか逃げ切った。

 

こうして4強は、箕島、PL、浪商、東洋大姫路と、近畿勢が独占した。

大会前の予想通り、近畿勢が圧倒的に強かったのである。

一つの地区が4強を独占するというのもセンバツの特色であり、戦前では東海勢が4強独占したことがあった。

 

翌日の準決勝第1試合、箕島×PL戦。

もちろん「ご近所さん」の家で、三つ年上の兄ちゃんと一緒に見ていた。

当然その兄ちゃんとは、引っ越す前から仲良しだった。

試合は、PLが終始リードを保ち、3-1で9回裏の箕島最後の攻撃を迎えた。

しかし箕島は驚異の粘りを見せて同点に追い付き、延長戦にもつれ込んだ。

3-3の同点で迎えた10回裏、無死一、三塁とサヨナラ負けのピンチでPLはラッキーボーイの遊撃手・阿部をマウンドに送るが、初球にいきなり大暴投。

箕島に「逆転のPL」のお株を奪われて逆転負け、夏春連覇の夢は断たれた。

 

地元のPLが敗れて、僕も兄ちゃんも放心状態。

第2試合の浪商×東洋大姫路がどんな試合だったかは憶えていない。

結果は浪商が東洋大姫路を5-3で破ったが、もしPLが勝っていたら史上初の大阪決戦となっていたわけだ。

未だに大阪勢の決勝対決は実現していないのだから、この時のPLがあと一歩で敗れたのは非常に悔やまれる。

 

実は箕島×PLの試合中、PLがほとんど勝ちそうだったので、兄ちゃんのお母さんが、

「PLが勝ったら、明日みんなで甲子園に行こか」

と言って、買い物に出かけた。

もしそのままPLが勝っていれば、「ご近所さん」の家族と共に、PLと浪商との決勝戦を見に行くはずだったのである。

「ご近所さん」のお母さんは、PLの勝利を信じて疑ってなかった。

その証拠に、買い物途中で顔見知りのオバちゃんと会い、

「明日、みんなで(甲子園に)PLの試合を見に行くねん」

と言ったそうだ。

ところが相手のオバちゃんは、

「え?PL負けたよ」

と答えたという。

かくして、「ご近所さん」との甲子園観戦計画はご破産になった。

 

結局、翌日の僕は甲子園に行くこともなく、「ご近所さん」の家をあとにしてに自宅に帰り、箕島×浪商の決勝戦をテレビで見るハメになった。

浪商の牛島、箕島の石井毅という両エースが疲労のために全く調子が上がらず、稀に見る大打撃戦となる。

結果は箕島が8-7で浪商を振り切り、3度目のセンバツ制覇を達成した。

箕島はこの年の夏も制して、当時としては史上3校目となる春夏連覇を果たしている。

 

だが僕が印象として残っているのは、一回戦でのPLと浪商が同時出場した大フィーバー、阿部の奇跡的な2打席連続ホームラン、東洋大姫路×池田の雨中の決戦、箕島×PLの壮絶な逆転劇である。

一つの大会で、印象に残る試合が複数あることなどそうはない。

そういうこともあって、この年のセンバツは一際、僕の記憶に残っているのである。

僕にとって、一番の「春の想い出」だ。

 

 

【追記】

 

この年の夏の大阪大会決勝、浪商とPLが激突した。

香川と牛島を中心とした浪商打線と、小早川、山中、阿部を擁するPL打線とでは、攻撃陣は互角と思われていた。

しかし、浪商には牛島という絶対的エースがいたのに対し、この年のPLには珍しく柱となるエースがいなかった。

投手力では、浪商がPLを上回っていたのである。

さらにこの決勝戦では、PLナインを乗せたバスが渋滞に巻き込まれたため、球場入りが試合開始時間直前という不運に見舞われ、ロクな練習もできずに 試合に臨んだ。

結果、浪商が9-3でPLに完勝し、夏の甲子園切符を掴んだ。

大阪の強豪校の名を欲しいままにしてきた浪商が、ここ数年はPLの後塵を拝してきたが、牛島ー香川のバッテリーでようやく積年の屈辱を晴らしたのである。

 

夏の甲子園でも浪商は順当に勝ち進み、準決勝まで進出したが、センバツでの「泥んこ軍団」池田に0-2で敗れた。

準決勝第1試合で箕島が勝っており、第2試合で浪商が勝っていればセンバツでの雪辱を晴らすチャンスだったが、蔦監督率いる池田にそれを阻まれた。

決勝戦で箕島は池田を4-3の逆転で破り、公立校としては未だに例のない春夏連覇を成し遂げた。

 

ちなみに、この大会のハイライトとなった、今でも甲子園史上最高との名勝負と言われる箕島×星稜の延長18回の死闘、この試合も僕は「ご近所さん」の家で見ていたことを、特に付け加えておく。