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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

水島野球

球漫画の第一人者と言えば水島新司先生をおいて他にいないだろう。
それまでの野球漫画といえば、「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」など、とても野球とは思えない実行不可能なプレーのオンパレードだった。
しかし水島先生の描く野球漫画はリアリティ溢れる作品ばかりで、高校野球漫画なら「ドカベン」、プロ野球漫画では「あぶさん」など、それまでの野球漫画とは一線を画した(まあ、殿馬一人の秘打のような、非現実的な技もあったが)。
例えば「巨人の星」の「消える魔球(大リーグボール2号)」なんて、なんでそんな理論でボールが消えるねん、と誰もがツッコんだし、「侍ジャイアンツ」の「大回転魔球は、どう考えてもボークやろ、といずれも荒唐無稽なものだった。
それに比べると、水島作品の「野球狂の詩」に登場する「ドリームボール」は実現不可能とは思えなかったし、ドリームボールを投げると見せ掛けて、それ以外の球種で打ち取るという、野球の駆け引きも大きな見所だった。
巨人の星」や「侍ジャイアンツ」では、投手がミエミエの魔球を「正々堂々と」投げ、ライバル打者たちは魔球を打ち崩すために常人とは思えぬ特訓を行ったうえでの一騎打ちが作品の売りであり、野球の駆け引きといった要素は皆無だった。
これは野球についてほとんど素人だった「巨人の星」「侍ジャイアンツ」の原作者である故・梶原一騎先生と、熱烈な野球ファンであり野球を熟知していた水島先生との違いだろう。
水島先生は「ドカベン」の連載を始める時「巨人の星」を潰す、と心に誓ったという。
なぜなら「巨人の星」のように地獄の特訓ばかりしているのを見せ付けられると、子供はみんな野球をしなくなる、と考えたからだ。
野球とは本来楽しいものであり、「巨人の星」のように地獄の特訓を経て栄光を掴んだ者のみが野球をする資格がある、という風潮を認められなかったのである。
僕も水島先生の意見に100%賛成だ。


ただ、水島先生は野球に精通していたために、かえって罪深いこともしている。
それは、漫画の中で野球について結構間違えている個所が多いからだ。
もちろん、水島先生だって人間だから間違うこともあるのだが、野球少年たちは「水島新司が描いていることだから間違いない」と信じ込んでいたのだ。
というより、子供の頃に信じ込んだまま、大人になってしまった人も少なくない。
そこで、そんな哀れな(?)大人のために、誤解を解いていってみよう。


【2ストライク後は打席を変えてはいけない】
これは僕が子供の頃はかなり信じられていた、「36球ファウルを打つとアウト」に並ぶ都市伝説である。
実際に「ドカベン」でも、山田太郎が高校一年時の夏の甲子園一回戦、明訓×通天閣でこんな会話があった。
3ボール0ストライクから打者の殿馬が打席を左から右に変えた時のこと。
岩鬼正美「アホかぁコラぁ!そないちょろちょろ打席を変えたら怒られるど、係の人に!」
里中智「いいんだよ岩鬼。2ストライクまでなら自由なんだ」

2ストライクまで自由、ということは、要するに2ストライク以降は打席を変えてはいけない、ということである。
うろ覚えで恐縮だが、たしか「一球さん」でも同じようなルール解釈があったと記憶している。
実際にはボールカウントに関係なく、打席を変えるのは自由である(もちろん投手がプレートに着いた後はダメ)。
それにしてもなぜこんな都市伝説が生まれたのだろう。
水島先生もこのルールを信じ込んでいたようだ。
なお、復刻版では「2ストライク云々」の部分は削除されている物もある。


【ベース踏み直しホームラン】
あぶさん」に収録されている「サヨナラ10塁打」という物語での出来事。
南海ホークスが1点ビハインドの9回裏二死一塁で、代打の景浦安武が逆転サヨナラ2ランを放つ。
ところが景浦は一塁を踏み忘れてしまい、そのままベースを一周した。
ホームプレートを踏んだ後、コーチにそれを指摘されて、三塁、二塁と戻って行って一塁を踏み直し、再び二塁、三塁を回ってホームインした。
結局、景浦は全部で10個の塁を踏んだ(最初の一塁は踏み忘れたが)ので「10塁打」というわけである。
ところが、これがトンだルール違反。
公認野球規則7.10(b)【付記】(2)にはこう書かれている。
「(塁を空過した走者は)ボールデッドのもとでは、空過した塁の次の塁に達すれば、その空過した塁を踏み直すことは許されない」
つまり、二塁を踏む前に気付けば一塁を踏み直してもいいのだが、二塁を踏んでしまったのだからアフター・フェスティバル(後の祭り)。
しかもわざわざ一周し直して一塁を踏んでいないことがチョンバレになったのだから、簡単にアピールされてしまうだろう。
一塁の踏み忘れなのだから当然一塁走者のホームインも認められず、南海は負けということになる。
つまりここは、たとえ一塁を踏み忘れたことに気付いても知らんぷりをし、敵も気付かずにアピールされないことを祈るのが得策だ。


【捕球した選手がスタンドに落ちてホームラン】
これが水島漫画が生み出した、最大の誤解だろう。
有名なのが「ドカベン」での山田が高校二年時、春のセンバツ決勝戦の明訓×土佐丸でのこと。
明訓の1点ビハインドで延長12回裏、一死一塁で殿馬がライトへ逆転サヨナラ2ランを放った。
ところが、このホームランが大問題。
ライトの犬神了はラッキーゾーンのフェンスによじ登り、ホームラン性の打球を好捕したがラッキーゾーンへ落ちそうになり、両足首でフェンス上部に引っ掛けて落ちないように必死で堪えていたが、無情にもラッキーゾーンに落ちてホームランが宣告された。
しかし、ラッキーゾーン(スタンドでも同じ)に体が落ちても、捕球している限りはホームランにはならずアウトになる。
野手が外野スタンドやラッキーゾーンに入ってから打球を捕れば当然ホームランだが、野手の体がスタンドやラッキーゾーンに入っても次の二つの条件を満たせばアウトだ。
(1)片足がグラウンド上またはグラウンドの上方空間上にある。
(2)片足でもダッグアウトまたはボールデッド区域内(スタンドやラッキーゾーンなど)に入っていない。

ところが、この殿馬サヨナラホームランインパクトがよほど強かったのか(優勝を決めるホームランだったしね)、未だに「捕球しても体ごとスタンドに入ればホームラン」と思い込んでいる人は多い。
YAHOO!知恵袋」でも自信満々に「捕球しても体ごとスタンドに入ればホームラン」と解答している人がいるのだから困ったものだ。
実はその後、「ドカベン・スーパースターズ編」でも全く同じプレーが起こり、この時はアウトを宣告している。
しかも場内説明で審判が、
「1978年までは体がスタンドならホームランでしたが、1979年からはアウトと改正されました」
と発言している。
おいおい、本当にそんなルール改正があったのか?
証拠があるわけではないが、ちょっとアヤシイ。
何しろ殿馬のホームランシーンが単行本になったのが1978年のことなのだから、ルール改正のタイミングがあまりにも良すぎる。
大体、「スーパースターズ編」でこのシーンが描かれたのが2006年であり、なんで審判がわざわざ28年前に改正されたことを言うだろうか。
ところが驚くことに、2011年の「スーパースターズ編」でまた同じようなことが起こったのだ。
ホームラン性の当たりをレフトの微笑三太郎が好捕、ところが体がスタンドに落ちそうになり、三太郎はボールをグラブごとセンターの赤松に投げて、赤松がこれをキャッチしてアウトが宣告された。
土井垣将監督は、
「フェアグラウンドの中にグラブを返した時に、体がスタンドの中ならホームランでしょ」
と抗議したが、審判は、
「体が地に着いてから返したわけではありません」
と言って突っぱねた。
逆に言えば、体が地に(即ちスタンドに)着いた場合はホームランということ。
1979年にルール改正したんじゃなかったの?
「捕球しても体がスタンドに入ればホームラン」という呪縛は、まだ水島先生に残っているようだ。


【特別代走、特別ランナー】
高校野球等で採用されているルール「臨時代走」のことを「ドカベン」ではなぜかこう表記されていた。
そして、ルール解釈にも誤りがあった。
詳細はこちらを参照。


【江川学院、いつの間にかセンバツに選出】
ドカベン」で山田が高校二年時の春のセンバツ、準々決勝での明訓×江川学院。
江川学院は栃木県の高校なので、神奈川県の明訓とは関東対決となる。
ひょっとして前年の秋季関東大会で対戦しているのでは、と思ったら、なんと江川学院は関東大会に出場していない。
当時は21世紀枠なんてなかったのに、関東大会に出場しなかった江川学院がなぜセンバツに選ばれたのか?
たとえ関東大会に出場していなくても、県大会で上位に進出して推薦校に選ばれたのだったらセンバツ出場の可能性もあるのだが、現実にはまずないと言っていい。
1983年の秋季四国大会で、4強入りした池田(徳島)が翌春のセンバツ出場が確実視されていたが、不祥事が問題となって推薦取り消しとなった。
だが、センバツ出場校以外の四国大会出場校で、池田の代わりになるような実力のある高校が見当たらず、徳島大会準決勝で池田と好勝負を演じた徳島商に白羽の矢が立ち、センバツに選ばれたことがある。
徳島商は四国大会に出場しなかったとはいえ、徳島3位校だったので推薦校としてセンバツに選ばれる可能性はあったのだが、池田の推薦取り消しがなければセンバツに選ばれることはなかっただろう。
江川学院は関東大会に出場しなかったばかりか、栃木県勢で唯一出場した大山は初戦敗退したので、大山の代わりに選ばれたというわけでもなさそうだ。
全くナゾの選出である。


【サッちゃんが甲子園でベンチ入り!?】
ドカベン」で山田の高校一年時での甲子園、山田の妹のサチ子がなんと明訓野球部の部長としてベンチ入り。
当時の甲子園大会は女子マネージャーのベンチ入りも認められていない、女人禁制の世界。
部長だったら女性でもベンチ入りは認められただろうが、明訓高校とは何の関係もない小学生の女の子が部長として認められるわけがない。
蛇足ながら、明訓野球部の責任教師がベンチ入りしたことは一度もなかった。
サチ子は部外者ながらベンチ入りしただけではなく、なんと伝令としてマウンドまで駆けつけているのだ。
いくら部長でも伝令として認められないし、グラウンドに出ることも許されない。
さすがに水島先生もマズイと思ったのか、以降の大会でサチ子がベンチ入りすることはなかった。


【”二軍選手登録”で一軍公式戦出場】
野球狂の詩」に登場する東京メッツの島小太郎は”当て馬”としてのプロ野球選手生活を送っていた。
島はレギュラー選手に対しても容赦なく厳しく当たり、そんな島に不満を抱いた選手たちは岩田鉄五郎監督に島を二軍に落とすことを進言、岩田は情けないレギュラー選手の要望を聞き入れて島を一軍選手から外すが、自らは休養を申し出て島を監督代行として指名した。
”当て馬監督”となった島は選手を大幅に入れ替えてベンチ入りの半分を二軍選手にし、先発のレギュラー全員を当て馬にするという奇策を講じて、以降は二軍選手だけで戦った。
二軍選手たちは健闘し、接戦を演じるが選手を使い果たしてピッチャーに対する代打がいなくなった。
そこで島が球審に告げたのは「ピンチヒッター、島!」
「一軍選手としてベンチ入りしてないはず」と文句を言うレギュラー選手に対し、島は平然と「二軍選手としてのベンチ入り登録をした」と言い放った。
二軍選手としてのベンチ入り登録?
そんなこと、できるわけがない。
というよりそもそも「二軍選手登録」なんてものは存在しない。
逆に言うと「一軍選手登録」などというものもないのだ。
現行のルールでは、一軍の公式戦に出場できるのは「出場選手登録」されている28名で、そのうちの25名がベンチ入りし、その日の試合に出場できる。
この「出場選手登録」というのが俗に言う「一軍登録」で、球団の支配下登録選手でないと登録されない(現在で言う育成選手では出場選手登録は認められない)。
出場選手登録から外れることを「登録抹消」と言い、最低10日間は出場選手登録されることはない。
これがいわゆる「二軍落ち」だ。
逆に二軍の公式戦では登録の必要はなく、支配下登録選手なら(現在なら育成選手でも)いわゆる「一軍選手」でも二軍の公式戦に出場できる。
当時のルールは知らないが、少なくとも「二軍選手として(一軍公式戦の)ベンチ入り登録」なんてことは有り得ない。


【ラインドライブがかかる】
これはルールではないが、未だに水島先生がよく使う言葉。
いや、古い野球人でもよく口にするだろう。
ところが、これは実に奇妙な表現である。
「ラインドライブがかかる」というのは、打球に強烈なスピンがかかって、鋭く曲がり落ちる場合に使われる。
だが、スピンがかかろうがかかるまいが、ラインドライブはラインドライブなのだ。
どういうことか説明しよう。
ラインドライブとは「line drive」と書き、全く正しい英語である。
その意味はというと、フライに対する言葉で、放物線を描かずに飛んで行く、要するにライナーのことなのだ。
line driveという言葉にerを付けた略語、それがライナー(liner)である。
ゴロを意味するground ballを略してグラウンダー(grounder)と言うのと同じだ。
つまり「ラインドライブがかかる」というのは「ライナーがかかる」と言っているのに等しい。
「ライナーがかかる」なんて言われてもわけがわからない。
強烈なスピンがかかろうが、無回転で真っすぐ飛ぼうが、いずれもラインドライブなのである。


【プレイボールホームラン】
これはおそらく水島先生の造語。
普通は「初回先頭打者初球ホームラン(あるいは単に「初回初球ホームラン」)」と言い、要するに初回に先頭打者が初球をホームランすることである(そのままやん)。
普通は1回表の場合のみを指すが、岩鬼は高校一年時の神奈川大会決勝で、1回裏に放ったホームランを「プレイボールホームラン」と称している。
これは水島漫画では何度も登場する表現で、水島漫画で育った世代の人は普通にこの言葉を使うが、それ以外の人は「プレイボールホームラン」と言っても何のことかわからない。
ましてや英語圏の人にとっては意味不明だろう。
ちなみに、野球の試合開始の時には球審は「プレイボール」とは言わず、単に「プレイ」と言うのみだ。


【真後ろのファウルはタイミングが合ってる】
これも水島漫画にはよく出てくる言葉。
つまり、バックネットに当たるようなファウルを打つと、その打席は期待が持てる、というもの。
だが、プロの打者に言わせると、真後ろのファウルというのは「単なる打ち損じ」なのだそうだ。
つまり絶好球をミスショットしているわけで、決していい状態ではないという。
もちろんこれには個人差があるだろうが、真後ろにファウルが飛んだだけで「タイミングが合ってる=調子がいい」と判断するのは早計のようだ。
とはいえ、これも長い間「水島世代」に信じられてきた事柄であり、水島先生の影響の大きさが窺える。


【大阪アパッチ、大阪ガメッツ】
これは野球とはあまり関係ないが、「野球狂の詩」等に登場する東京メッツのライバルチーム。
アパッチというのは最初の頃のニックネームで、当然インディアンのアパッチ族から取った愛称だと思われるが、チーム名のスペルはAPATTI。
しかし、アパッチ族のスペルはAPACHEであり、なんでこんな日本式ローマ字のようなスペルになったのかは不明。
アパッチの次に付いた愛称がガメッツであり、「野球狂の詩・平成編」に登場する。
実はそれ以前にも「ドカベン」で岩鬼を最初にプロに誘った球団であり、「ストッパー」という作品では主人公の球団だ。
ガメッツのスペルはgametsであり、単数形と思われるgametなんて単語は英語には存在しない。
似た言葉でgameteという単語があるが、これは「生物配偶子」という意味であり、とても野球チームに付ける愛称とは思えない。
ちなみに本拠地のガメッツ・スタジアム前にはカメの人形が飾られていた。
水島先生は英語があまり得意ではないらしく、「ドカベン」に登場したシナトラというアメリカ人中学生は、
「ノー・ノー!ミー・ゴーホーム・ノー!!(ぼく家に帰れない)」
という、文法無視の凄まじい英語を発していた。


【鳴門の牙】
ドカベン」で土佐丸のエースだった犬飼小次郎の異名。
だが、高知県の小次郎がなぜ徳島県の「鳴門」と呼ばれていたのかは不明。
しかも鳴門市というのは徳島県の中でも最も高知県から離れた場所にある。
ちなみに、弟の武蔵は高校三年時の春のセンバツ一回戦でサヨナラホームランを放った時、阿波踊りでベース一周している。
この時アナウンサーが、
「地元の観光協会が大喜びしそうな心憎い宣伝であります」
と言っているが、高知の高校が徳島の踊りを披露しても、高知県観光協会は喜ぶどころか面白くないだろう。
ひょっとして犬飼兄弟は実は徳島県出身なのだろうか。
しかし、土佐闘犬「嵐」を飼ってるのだから、この説は信憑性が薄い。


信濃高校】
野球狂の詩・平成編」から登場する青田心太郎の母校である信濃高校、どこの県に位置する高校だろうか。
普通に考えれば長野県であるが、なんと新潟県の高校である。
信濃」なのになぜ新潟?
どうやら新潟県内を流れる信濃川の近くにある高校らしい。
ドカベン」に登場する「信濃川高校」なら新潟県の高校でも納得するが、新潟県内にある高校がモロに「信濃高校」とは普通、名付けないだろう。
近くに大和川が流れているからと言って、大阪の高校が「大和高校」と名付けたりするだろうか。
新潟出身の水島先生が新潟の旧国名を知らないはずはないのだが(ちなみに青田はちゃんと「越後の剛腕」と呼ばれていた)。
「鳴門の牙」と並ぶ謎である。


と、色々と揚げ足取りをしてきたように見えるかも知れないが、そうではなくてこれだけのことを信じさせてきた水島先生はやはり偉大だということだ。
大体、昔の漫画は「巨人の星」のようにツッコみどころ満載な作品ばかりだったし、リアリティのある漫画を描けなければ、とてもこれだけのことを信じさせることは不可能だろう。
しかし、子供の頃はそのまま信用しても、大人になれば物事を鵜呑みにせずに、自分で検証する姿勢が大事と言える。