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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

伝説の田コロ決戦

1981年9月23日、今はなき東京・田園コロシアム
この日、新日本プロレスによる興行が行われ、まさしく伝説が生まれた。


最大の伝説は、セミファイナルのスタン・ハンセン×アンドレ・ザ・ジャイアント
最強外国人同士の激突によるド迫力に、ファンは狂喜した。
体重140kgのハンセンが250kgのアンドレをボディスラムで投げ飛ばし、さらには温存していた必殺ウエスタン・ラリアートでアンドレを場外までふっ飛ばした(結果はハンセンの反則勝ち)。
外国人同士ながら、日本プロレス史上最高のベストバウトだろう。


さらに興奮冷めやまぬこの一戦のあと、崩壊したばかりの国際プロレスのエース・ラッシャー木村がリングに上がって、新日本プロレスの総裁・アントニオ猪木と対峙した。
ファンはライバル団体のエースである木村が猪木に対してどんな勇ましい啖呵を切るか、と注目したが、木村は「こんばんは」とプロレスラーとは思えない礼儀正しい挨拶をした。
名勝負の直後だったことも相まって、あまりの場違いな発言に場内からは失笑が湧いた。
新日ファンからして見れば、国際プロレスはなんてダサい団体なんだ、と。
この木村の「こんばんは発言」も伝説となっている。


メインエベントのアントニオ猪木×タイガー戸口の3試合前には、タイガーマスク(初代=佐山聡)が”太陽仮面”ソラールを骨折に追い込む、壮絶な試合を演じた。
ちなみに、プロレス・ドキュメンタリーの漫画「プロレススーパースター列伝」ではこの試合を、ソラールがタイガーマスクの正体についてマスコミに喋ったため、その制裁のためのシュートマッチだった、と説明している。
まあ、そんなことはまずないだろうが(「プロレススーパースター列伝」では、ソラールはタイガーマスク佐山聡)がメキシコでは「ミスター・カンフーとしてリングに上がっていた」とマスコミに語っているが、そんな事実はない)。


さらにその一つ前、即ちメインから4試合前のカードを見てみると、なんと坂口征二×ストロング小林の試合が組まれている。
坂口と言えばもちろん、新日本プロレスでは猪木に次ぐナンバー2である。
一方の小林は国際プロレスの元エースで、国際プロレスから独立して猪木と一騎打ちした時は、久しぶりの日本人大物対決ということで日本中が熱狂した。


新日のトップに限りなく近い二人の試合が、前座に近い第5試合という扱い(この試合後に、5分間の休憩が入っている)。
もちろんテレビ中継もなかった。
数年前ならメインを張ってもおかしくない黄金カードだろう。
しかしこの頃の坂口は、ナンバー2の座は若い藤波辰巳に譲っていた。
「外様」の小林に至ってはテレビマッチすらなくなってしまった。
この頃の小林は、新日育ちの藤波や長州力を引き立てるための「噛ませ犬」に徹していた。


小林と木村と言えば、弱小団体・国際プロレスの両エースとして必死に屋台骨を支えてきた仲間である。
その後、小林は猪木に挑戦を表明して独立、そして新日本プロレスの一員となった。
田コロ決戦の2年前に行われたプロレス・夢のオールスター戦(国際プロレス新日本プロレス、全日本プロレスが一堂に会した興行)ではセミファイナルで小林×木村の一騎打ちが実現している(結果は木村のリングアウト勝ち)。


脚光を浴びた僅か2年後に、小林は新日から冷遇されていた。
田コロの大観衆が熱狂したこの日、かつての盟友・木村の「こんばんは」発言を、新日に飲み込まれた小林はどんな思いで聞いていたのだろうか。