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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

四番の守備位置:高校野球編

先日、四番の守備位置について、日本プロ野球の過去10年間のデータを調べ、どのポジションに四番打者が多いのかというシミュレーションをした。
その結果がこちらである。


日本プロ野球・過去10年間の四番打者ポジション別ランキング
(1)一塁手 セ22 パ19 計41
(2)左翼手 セ17 パ11 計28
(3)三塁手 セ13 パ11 計24
(4)指名打者 セ0 パ12 計12
(5)右翼手 セ5 パ4 計9
(6)中堅手 セ1 パ2 計3
(7)二塁手 セ1 パ1 計2
(8)遊撃手 セ1 パ0 計1
(9)捕手 計0
(9)投手 計0


四番打者のポジションは一塁手が最も多く、全体の実に34.2%を占めた。
次に多いのは左翼手で、守備の負担が軽いポジションに四番打者が多いことがわかった。


では、高校野球ではどうなのだろう。
高校野球は今でも「エースで四番」というケースが多いと思われるし、この数字はプロ野球とは随分変わるのではないか。
そこで、去年(2011年)の夏の甲子園に出場した49校の、初戦における四番打者のポジションを調べてみた。
その結果がこちらである。


2011年・夏の甲子園の四番打者ポジション別ランキング
(1)一塁手 15
(2)三塁手 7
(3)右翼手 6
(4)投手 5
(5)左翼手 4
(5)中堅手 4
(7)捕手 3
(7)遊撃手 3
(9)二塁手 2


1位の一塁手はプロと変わらないが、比率は30.1%に下がり、プロに比べてかなりばらついている印象だ。
中でも、プロでは2位だった左翼手が高校では5位と、かなり少なくなっているのには驚いた。
右の強打者に対し、レフトオーバーの大飛球を追う脚力が必要なため、機動力のある選手を左翼手に起用しているのだろうか。
逆に右翼手が3位でプロよりも順位を上げており、と言っても人数的には左翼手中堅手とさほど変わらないので、守備的負担が高校では外野手3人ともほぼ同じなのかも知れない。
2位の三塁手は、やはりセンスのある大型選手が務めるポジションということか。


そして真打ちの「エースで四番」は4位。
最近は高校野球でも分業化が進んでいると言われるが、今でもやはり打力のある投手は健在だ。
捕手、遊撃手、二塁手の四番打者が少ないのはプロと同じだが、ゼロのポジションはなかった。


「エースで四番」がその神通力を失っていないとはいえ、昔に比べて少なくなったような気がする。
そこで、このデータから28年前、1983年夏の甲子園の記録も調べてみた。
この年は、高校野球に革命を起こしたと言われる「やまびこ打線」の池田(徳島)が夏春夏の3連覇を目指していた。
結局は準決勝で一年生の桑田・清原を擁するPL学園(大阪)に敗れたが、打って打って打ちまくるスタイルは今までの高校野球になかったものだ。
そのやまびこ打線の四番を打っていたのが、エースの水野雄仁(元・巨人)だった。
打力のチームの四番打者が投手だったのだから、当時の高校野球は「エースで四番」が主流だったのではないか。
ちなみに池田は、前年夏に優勝した時の四番打者がエースの畠山準(元・南海ほか)、この3年後の1986年春に優勝した時の四番打者がやはりエースの梶田茂生であり、池田の甲子園優勝時の四番打者は全て投手だったのだから、蔦文也監督はよほど「エースで四番」が好きだったらしい。
さて、1983年夏の結果は以下の通りとなった。


1983年・夏の甲子園の四番打者ポジション別ランキング
(1)一塁手 13
(2)投手 8
(2)捕手 8
(4)中堅手 6
(5)左翼手 5
(6)三塁手 4
(6)右翼手 4
(8)遊撃手 1
(9)二塁手 0


1位の一塁手は同じだが、「エースで四番」投手が2位に躍進している。
やはりこの時代は「エースで四番」が主流だったのだ。
しかも水野以外でも、野中徹博(元・阪急ほか)、香田勲男(元・巨人ほか)、津野浩(元・日本ハムほか)、秋村謙宏(元・広島ほか、現・審判員)、山田武史(元・巨人ほか)、横谷総一(元・阪神)と、この年の「エースで四番」の8人中7人がプロ入りした(横谷のみプロ入り後に野手転向)。
絶対的エースがその野球センスを活かして中心打者も担う、そんな時代だったのだ。


そしてもう一つ目を惹いたのが、投手と並ぶ2位の捕手。
「キャッチャーで四番」も珍しくない時代だったのだ。
キャッチャーはガタイがある選手が就くことが多く、今ほど投手の球種も豊富ではなかったので、さほどリードに神経を取られなかったのかも知れない。
高校野球漫画「ドカベン」の山田太郎も「キャッチャーで四番」だったし、同じく高校野球漫画の「プレイボール」でも相手校には「キャッチャーで四番」のデカいヤツが多かった。
「現実のドカベン香川伸行(元・南海)が甲子園で活躍したのは、この年から4年前の1979年だった。


あとは、外野手3人がドングリの背比べで、三塁手が6位と意外に少ない。
二遊間は極端に少なく、特に二塁手は0人だった。
やはり、二塁手は小柄で強打者がいない、ということか。


共通する部分もあるとはいえ、やはり現代野球とは差異がある。
四番打者の守備位置というのは、その時代の野球を写し出す鏡なのかも知れない。