8月23日、阪神甲子園球場で行われた第94回全国高等学校野球大会の決勝戦で、大阪桐蔭(大阪)が光星学院(青森)を3-0で破り、今春の第84回選抜高等学校野球大会に続いて優勝し、史上7校目の春夏連覇を達成した。
史上初めて春夏同一の決勝カードとなっただけに、甲子園は4万6千人の超満員となった。
春夏連覇の野望に燃える大阪桐蔭と、去年の夏から3季連続決勝進出し、東北勢として悲願の甲子園初制覇を狙う光星学院の激突は、夏の決戦にふさわしいカードだったと言える。
前日の準決勝で明徳義塾(高知)を完封した大阪桐蔭のエース・藤浪晋太郎は連投の疲れを感じさせず、初回から150km/hの快速球を投げ込んだ。
今大会最強と言われた光星学院打線は、藤浪の速球の前に完全に振り遅れていた。
特に強打を誇った三番打者の田村龍弘と、今大会4ホーマーの四番打者・北條史也を藤浪は徹底マーク、2人合わせて1安打、4三振とほぼ完璧に押さえ込んだ。
大阪桐蔭は4回裏、七番打者の白水健太が中越ソロ本塁打を放ち1点先制、5回裏には相手のミスに乗じて2点を奪い、試合を有利に進めた。
これまで堅守を誇っていた光星学院の守備陣が、今日は硬さが出たのか3エラー、いずれも悪送球で2失点はタイムリーエラーだっただけに悔やまれる。
結局、前半から飛ばしていた藤浪の速球は最後まで衰えず、被安打2、14奪三振という完璧な内容で2試合連続完封、3-0で大阪桐蔭が光星学院をセンバツの返り討ちにした。
センバツ決勝では7-3と大阪桐蔭が勝ったが、光星学院打線は藤浪に12安打を浴びせており、今夏の決勝でも藤浪攻略には自信を持っていた。
しかし「浪華のダルビッシュ」こと身長197cmの藤浪は春から進化を遂げており、最速153km/hの速球と切れ味鋭いスライダーのコンビネーションは相手に的を絞らせなかった。
藤浪が進化するきっかけとなったのが夏の大阪大会決勝、センバツ出場した履正社戦だった。
大阪桐蔭は序盤に打線が爆発し、7回を終わった時点で10-1と一方的リード、準決勝以前ならコールド勝ちしている点差だった。
だが8回に藤浪は履正社打線に捕まり一挙7点を奪われKO、リリーフの澤田圭佑がなんとかしのいで10-8で薄氷の甲子園切符を手にした。
春夏連続甲子園出場を決めたにもかかわらず藤浪に笑顔はなく、己の不甲斐なさに悔し涙を流した。
いかに150km/hの快速球と切れ味鋭いスライダーを持っていても、甲子園に出場するような打線には単調な投球では通用しないことを悟ったのだ。
大会初戦となった二回戦の木更津総合(千葉)戦では14奪三振、2失点の完投勝利。
三回戦の済々黌(熊本)戦は、マウンドを控えの澤田に譲ってお休み。
蛇足ながら、筆者は藤浪よりも安定感では澤田の方が上と感じており、大阪桐蔭の春夏連覇のカギは澤田が握っている、と予想していた。
しかし実際には準々決勝以降、藤浪は澤田の助けを借りることなく、全て完投した。
だが、後ろに澤田が控えているという安心感が、藤浪にはあったに違いない。
準々決勝の天理(奈良)戦では藤浪が1失点、13奪三振で完投。
9回二死まで零封していたものの、ソロ本塁打を浴びて甲子園初完封を逃した。
準決勝の明徳義塾戦では8奪三振と三振は少なかったものの被安打2で完封、決勝では前述したように光星学院を被安打2、14奪三振で完封した。
結局、藤浪は大会を通して4試合に登板・完投、失点3、自責点2、49奪三振という見事な内容だった。
特に準々決勝以降の投球内容は完璧だったと言える。
そこには、大阪大会での履正社戦で、勝利投手になりながらKOされて悔し涙を流した藤浪の姿はなかった。
だが、大阪桐蔭は藤浪だけのチームではなかった。
四番打者の一塁手・田端良基。
センバツ初戦の花巻東(岩手)戦で「160km/h男」大谷翔平から本塁打を放ったものの、その大谷から死球を食らって骨折し、戦線離脱した。
田端に代わって強打・大阪桐蔭の四番打者に座ったのが小池裕也。
小池は光星学院とのセンバツ決勝でも本塁打を放ち、春の優勝に大きく貢献した。
しかしセンバツ以降は調子を崩し、今夏のメンバーには入れなかった。
夏の甲子園で小池はアルプス席で応援団旗を持ち、復活した田端をはじめ大阪桐蔭ナインに声援を送った。
「夏の四番」田端は「春の四番」小池の声援を受け夏の甲子園で2本塁打、光星学院戦では打点こそなかったものの技ありの渋いヒットを放ち、貴重な追加点のホームを踏んだ。
春夏連覇というのは、とてつもない難事業である。
春のセンバツが始まったのは夏の選手権に比べて9年遅く、10回分少ない。
それでもセンバツは今年で84回も迎えるのだから、単純に言うと84回の間に春夏連覇は7回しかないという、実に希少価値なものだ。
他の高校スポーツに比べて、1年のうちに二つのビッグタイトルを獲得するのがいかに難しいか、過去にここでも検証しているのでそちらを参照されたい。
そもそも、春夏の決勝戦が同一カードになったことが、戦前から続く長い高校野球史で初めてということが驚かされる。
他の高校スポーツで、選抜大会(あるいは選手権大会や国体)と高校総体の決勝が同じカードであることなど、日常茶飯事だろう。
しかし高校野球では、1年のうちに同じ高校同士で全国大会の決勝を行うなんて、これまで一度もなかったのだ。
野球というスポーツは番狂わせが起きやすいこと、強豪校の分母が広いことなどが、その理由として挙げられる。
事実、春夏連続で甲子園決勝に進出した大阪桐蔭と光星学院ですら、地方大会で敗退していた可能性すらあるのだ。
春のセンバツで優勝したからと言って、夏の地方大会で特典があるわけではない。
センバツ優勝校が夏の地方大会でノーシードなんてことはザラにあるし、地方大会で敗退することも珍しくはない。
特に大阪大会にはシード校制度がないので、センバツ優勝校の大阪桐蔭はクジ運が悪く、一回戦からの登場となった。
四回戦では無名の府立校・箕面東に3安打に抑え込まれ、2-0と薄氷の勝利をなんとか掴んだ。
決勝戦は前述の通り、ライバルの履正社に10-8でなんとか振り切った。
試合内容としては、大阪大会で姿を消していても決して不思議ではなかった。
光星学院は青森大会でもっと厳しい戦いを強いられた。
初戦の県立校・三沢(かつては太田幸司を擁し夏の甲子園準優勝経験があるが、最近は甲子園には程遠い)に対して延長10回で2-1と、崖っぷちからの勝利。
センバツ準優勝校が、レベルが低いとされる青森大会の初戦で敗退する可能性があったわけだ。
次の試合は私学のライバル・青森山田戦で、これも延長10回の8-6でなんとか振り切った。
センバツ優勝校と準優勝校が、地方大会でもこれだけ苦戦を強いられるのである。
そんな厳しい条件をくぐり抜けて春夏連覇を達成した大阪桐蔭、そして夏春夏3季連続準優勝の光星学院は、奇跡とも呼べる偉業を成し遂げたと言えよう。