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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

想い出のフィールド(43)〜明石公園野球場

明石公園野球場(行った回数:1回)


明石公園野球場(以下、明石球場)の正式名称は「兵庫県立明石公園第一野球場」と言い、明石城跡を中心とする公園の中にある。
JR山陽本線の明石駅と山陽電鉄本線山陽明石駅のすぐ近くにあり、交通の便は非常に良い。
JRなら一駅先に新幹線が停まる西明石駅がある。
明石市の中心街でありながら自然は豊か、海にも近いので非常に風光明媚な場所だ。


明石球場は兵庫県の高校野球のメイン球場でもあり、夏の兵庫大会決勝もずっと行われてきた。
ナイター設備こそないものの、両翼100m、中堅122mという、公認野球規則に則った広さを誇る。
最近ではこの広さは当たり前だが、明石球場の場合は日本の球場が両翼91m程度だった頃から、この広さをずっと保ってきた。
そのため高校野球では滅多にホームランは出ず、レフトやライトへの大きな当たりが外野フライに終わった時でも「今のは甲子園だったらラッキーゾーンに入ってますね」などと言われていたものだ。
球児なら誰もが憧れる広い阪神甲子園球場が、明石球場よりも狭かったのである。
内野は土、外野は天然芝で、収容人員は12,000人と昔から変わらないものの、スコアボードだけはかつての手書き式から磁気反転式に改装された。
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ブルペンはスタンド下に設置され、外から見ることができる。
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かつてはサンテレビで夏の兵庫県大会の明石球場での試合を、3回戦ぐらいから生中継していた。
梅雨が明け、眩いぐらいの青空の下、真っ黒に日焼けした球児たちを見ると、いよいよ夏本番だな、と実感したものだ。
3回戦ぐらいだと名もない高校が登場して、多分甲子園出場は無理だろうに一所懸命プレーしている姿が印象的だった。
ある意味、甲子園大会を見るよりも好きだったかも知れない。


大阪にはサンテレビのような独立UHF局がないので、大阪大会の初めの方から中継するというわけにはいかず、兵庫県が羨ましかった。
1982年にUHFのテレビ大阪が開局して、これで大阪大会の初期段階から放送してくれると期待したのだが、テレビ大阪は独立UHF局ではなくテレビ東京系だったので、朝日放送を押しのけて中継するはずもなかった(その代わり、3分程度の大阪大会速報番組はあった)。
それが最近ではサンテレビでも、兵庫大会の準決勝ぐらいからしか放送しなくなった。
せっかくの地方独立局なのにもったいない。
下らないドラマなんか放送するぐらいなら、普通は見られない地方大会の初期段階に登場する無名校の試合ぶりを映し出した方が、どれだけ有意義かわからないのに。


明石球場は他にも、全国高等学校軟式野球選手権大会の主会場でもある。
高砂市野球場も使用されるが、準決勝および決勝戦は明石球場で行われる。
明石球場はいわば「軟式の甲子園」でもあるわけだ。
硬式野球の兵庫大会が行われるのが梅雨明けの7月なら、軟式の全国大会が始まるのは甲子園大会が終わった後の8月下旬で、残暑が厳しいとはいえ空模様は既に秋になっている。
明石球場は二つの高校野球を、二つの季節で演出するわけだ。
入場料は無料だがちゃんと売店も開店し、甲子園のような華やかさはないものの、全国から応援に駆け付ける。
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これまで書いた内容では明石球場は高校野球専門の球場に思われるかもしれないが、1950年代にはプロ野球(NPB)の一軍公式戦が行われたこともあり、最近でもオープン戦が開催されている。
さらにその50年代には、読売ジャイアンツのキャンプ地でもあったのだ。
現在では寒い本州で一軍のスプリング・キャンプを行っている球団はないが、当時は遠い四国や九州よりも、設備の整い交通の便も良かった明石球場や静岡県の伊東スタジアムでキャンプを行うことは珍しくなかった。
長嶋茂雄が巨人に入団して初めてキャンプに参加したのも明石球場で、明石にはファンが殺到したという。


そして、巨人の明石キャンプが思わぬラブロマンスを生んだ。
当時巨人の選手だった馬場正平、後のプロレスラーであるジャイアント馬場が、生涯の伴侶となる元子夫人と出会ったのがこの明石キャンプでのことだった。
当時の元子はまだ中学三年生で、父は明石在住の巨人後援者であり、新人だった馬場が他数名のルーキーたちと共に、先輩の千葉茂に連れられて元子の家に行った。
その時、元子は馬場のために特大のスリッパを差し出したのだ。
もちろん、馬場が履けるスリッパなどあるわけがないので、元子が馬場のために特別に用意した物である。
馬場は元子のことをいっぺんに気に入ってしまったが、馬場の足が16文もなければこの恋は芽生えなかったかも知れない。


それ以来、馬場と元子の文通が始まったが、馬場はその後巨人を解雇、大洋ホエールズのテスト生にはなったものの風呂場で滑って右腕を大怪我し、プロ野球を諦めてプロレスラーに転向したために、やがて音信不通となった。
ところが、アメリカで武者修行していた頃、師匠の力道山が死んだので日本に帰るかアメリカに残るか悩んでおり、元子のことを思い出して4年ぶりぐらいに手紙を出した。
今頃もう嫁に行って返事も来ないだろうと覚悟していたのだが、返事が来て嫁にも行っていないことがわかり、帰国することを決心したという。
日本に帰国してから、馬場と元子の本格的な交際が始まり、やがて結婚した。


野球の話がいつの間にかプロレスラーの恋バナになってしまったが、地方球場の明石球場にも色々なドラマが潜んでいるものである。
僕は巨人キャンプ地として使用されていた頃の明石球場はもちろん知らないが、高校野球兵庫大会のメイン球場としてテレビで見てきたので、明石球場と言えば条件反射で夏真っ盛りの風景を連想する。
非常に情緒的で、好きな球場の一つである。




明石球場のレフト後方に建つ明石城の坤櫓(左)と巽櫓(右)
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