西都原運動公園野球場(行った回数:1回)
宮崎市街から北北西へ直線距離で約20km、内陸部に西都市がある。
「西の都」と書くぐらいだから、古代国家の首都機能がこの地に存在したのだろう(もっとも「西都」というのは単なる佳字という説があるようだが)。
それを証明するかのように、ここには日本最大級の古墳群「西都原古墳群」がある。
我が故郷の大阪・南河内地区も古墳だらけだが、西都原古墳群は広大な公園になっていて、こんな区画整理された古墳群は南河内にはない。
西都原は「さいとばる」と読み、「原」を「はる(あるいは「ばる」)」と読むのは九州地方の特徴で、他には西南戦争で有名な田原坂(たばるざか)などがある。
沖縄の天然記念物「ヤンバルクイナ」の「ヤンバル」も漢字では「山原」と書き、この発音が方言周圏論に沿ったものならば、古代日本では「原」のことを「はる」と読んでいたのだろう。
京都から最も遠くに離れた沖縄の琉球語は、日本古語の宝庫だ。
それはともかく、畿内はもちろん福岡からも遠く離れた九州南部の地に、古代国家が存在したというのもロマンを感じさせる話である。
この歴史ある街・西都でスプリング・キャンプを張っているのが東京ヤクルト・スワローズだ。
現在では二軍のみの使用となっているが、1990年代は一軍のキャンプ地でもあった。
ヤクルトの一軍キャンプ地といえば、70年代後半からアメリカのアリゾナ州ユマでずっと行われてきたが、90年代にはユマと西都の併用となっていた。
2000年代に入りユマからは完全に撤退している。
かつてはメジャーリーグのキャンプ地として有名なアリゾナ州やフロリダ州、さらにハワイやグアム、サイパンなど、海外キャンプが流行したことがあったが、現在(2011年)では、海外キャンプを張る球団は一つもない。
海外キャンプは経費がかかるうえ、日本にも宮崎や沖縄に豪華なキャンプ施設が次々と造られたからだろう。
特に暖かい気候が売りの海外キャンプに対し、温暖さでもヒケを取らない沖縄キャンプが人気となっている。
アリゾナ州などは暑すぎるぐらいで、キャンプを終えて一番寒い時期の日本に帰ってくると、体調を崩してしまう選手も少なからずいた。
僕が初めて西都に行った時は、一軍のキャンプ地は既に沖縄県の浦添市に移っていて、ここでは二軍キャンプが行われていた。
かつては池山隆寛、広沢克己、古田敦也、川崎憲次郎、高津臣吾らスターが揃い、西都は大賑わいだったが、この日の観客は我々を含めてたったの5名。
90年代にプロ野球ニュースのキャンプレポートで見た同じ球場とはとても思えなかった。
両翼95m、中堅120m、フィールドは内野が土で外野は天然芝だが冬芝は枯れ、収容人員は不明でスタンドは貧弱、ナイター設備はあるが夜間練習用だろう。
スコアボードは宮崎の古い球場の例に洩れず、手書き式のイニングスコアのみの表示だ。
これでは夏の高校野球宮崎大会は行えないだろうし、せいぜい春季大会や秋季大会、他に公式戦で行えるのはマイナーなリーグの大学野球ぐらいだろう。
キャンプ地だから仕方がないとはいえ、宮崎には「キャンプのみのための球場」が多すぎる。
まあ、練習試合などでは使われているのだろうが。
もちろん、キャンプ地ならではの利点もあり、球場の隣りにはアップやキャッチボールができる陸上競技場、室内練習場やブルペンがある。
ただ、やはり施設の老朽化は激しく、昨今のプロ野球キャンプ事情から考えると、一軍のキャンプ地としてはあまりにお粗末だ。
アクセス面でも最寄駅というものはなく、公共交通機関としては南宮崎駅から出ている路線バスのみで(前述した通り、宮崎市街から西都まで直線距離で約20kmもあり、相当遠い)、しかも最寄りのバス停から徒歩約25分もかかるという。
そこからタクシーは出ているようなのでそれを利用すればいいが、あまりにも不便と言わざるを得ない。
やはり車でないと、とても行けたものではないだろう。
一軍のキャンプ地だった頃、よくぞあれだけ大勢の客をさばききっていたものだ。
ヤクルト一軍キャンプ地の座をが浦添に奪われたのも、やむを得ぬというところか。