ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

想い出のフィールド(23)〜明治神宮球場

明治神宮球場(行った回数:2回)


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大学野球、特に東京六大学野球のメッカであり、東京ヤクルト・スワローズの本拠地でもある明治神宮球場
完成したのは1926年(大正15年)で、その2年前に完成した阪神甲子園球場に次ぐ、日本で最も歴史ある球場の一つである。
球場の所有者はその名の通り明治神宮で、もちろん宗教法人だ。
宗教法人所有のプロ野球本拠地球場なんて、世界でも類を見ないのではないか。


大学野球のために造られた球場なので、かつては職業野球と揶揄されたプロ野球が使用することには消極的で、スワローズやそれ以前の東映フライヤーズが神宮球場を本拠地にした時も、大学野球側は反対していた。
そのため、スワローズの本拠地として定着した現在でも大学野球優先で日程が組まれ、春先の週末では普通はプロ野球はデーゲームで行われるが、神宮球場ではデーゲームで東京六大学、ナイトゲームでスワローズ戦が行われる。


象徴的だったのが1978年の日本シリーズである。
この年、スワローズは球団創設以来初のセ・リーグ優勝を果たしたが、当時の日本シリーズはデーゲーム開催だったため、神宮球場東京六大学を優先し、スワローズは後楽園球場を本拠地として日本シリーズを戦わざるを得なかった。
ちなみに、1965年から1978年までの14年間、後楽園球場で日本シリーズが行われなかったのは1975年の1度だけで(阪急×広島)、それ以外の13回は後楽園が使用されている(1974年はロッテ・オリオンズ、1978年はヤクルト、それ以外は巨人の本拠地として)。
しかし1992年にスワローズがリーグ優勝した時は日本シリーズが優先されて、スワローズとしては初めて本拠地の神宮球場で日本シリーズを戦うことができた。
それだけプロ野球が認知されてきたということもあるが、神宮球場側がより収益の大きいプロ野球を優先させたくなったという面も見逃せない。
悪く言えば金儲け主義だが、このご時世では大学野球だけで球場を維持するのは難しいので、やむを得ないのだろう。
昭和30年ぐらいまでは東京六大学の人気はプロ野球を圧倒していたが、今では見る影もない。
ただし、現在でもペナントレース中はやはり大学野球優先だ。


大学野球が行われる春と秋はデーゲームで大学野球が2試合、ナイトゲームでプロ野球が1試合という日程になるため、グラウンド整備に時間を掛けられないのが悩みの種だった。
内野の土グラウンドはイレギュラーが多く、外野の芝生も荒れていたので、選手からは不評だった。
そこで1982年、神宮球場は全面人工芝球場に生まれ変わった。
学生野球側は人工芝に対して消極的だったものの、背に腹はかえられなかったのだろう。
1976年に後楽園球場が全面人工芝化したのを皮切りに、1978年に阪急西宮球場(外野のみ)、同年に完成した横浜スタジアム、1979年に完成した西武ライオンズ球場(現・西武ドーム)に続き、学生野球のメッカである神宮球場までが全面人工芝になったので、日本の球場は一気に人工芝が主流になっていく。
また、かつては外野スタンドに芝生席があったが、人工芝化と共にそれも普通の椅子席となった。


そして、長らく手書きだったスコアボードは、1980年に電光掲示板になった。
これも学生野球らしからぬ豪華なもので、その大きさは後楽園球場の電光掲示板を上回っていた。
選手名一人ひとりの横には打率とホームラン数が表示されるというデラックス版である。
ただし、当時のセ・リーグではDH制に反対していたせいか(もちろん、大学野球でもDH制は採用されていなかった。現在では東京六大学と関西学生以外のリーグでは全てDH制)、選手名は1チーム9名分しかなく、DH制に対応していなかった。
ちょうどこの年、首都圏で世界アマチュア野球選手権が行われ、この時には神宮球場では攻撃側のチームは指名打者を表示し、守備側は指名打者の打順の所に投手名を記していた。
その後、日本シリーズなどでもDH制で行われるようになったためか、DH制対応のスコアボードになった。
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さらにその後、全面LED化に伴い、打率およびホームラン数の部分は広告となり、これらの数字は打席に入っている選手のみを示すという、他の球場と同じスタイルになった。
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人工芝化してからは近代的な球場というイメージが強くなったが、未だにブルペンが内野のファウルグラウンドにあるという、最近では珍しくなった構造が残っている。
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また、グラウンドは新しくなってもスタンド内部はまだまだ古めかしく、客の通路からロッカールームが直結している。
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そのせいか、試合が終わると選手たちはベンチの奥には引っ込まずに、全員が荷物を抱えてグラウンド内をゾロゾロと外野方向に歩いて行く。
旧広島市民球場がなくなった今、この光景が見られるのも神宮球場だけだ。


申し訳程度に付いたバックネット裏の2階席もレトロな感じがする。
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神宮球場でもう一つ忘れてはならないのが第二球場で、高校野球の東京大会、あるいは明治神宮大会高校の部で使用される。
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この二つの球場がある神宮外苑には、他にも国立競技場、秩父宮ラグビー場東京体育館などがあり、JRの中央線と複数の地下鉄路線が走っていて交通の便も良く、東京というよりは日本のスポーツの中枢部と言ってもいいだろう。




さて、神宮球場で一番想い出に残っているのが、1985年10月16日のヤクルト×阪神戦だ。
言うまでもなく、阪神タイガースが21年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた試合である。
この試合で勝つか引き分けるかすれば阪神の優勝が決まるが、8回を終わって3−5で2点ビハインド。
しかし9回表、掛布雅之のレフトへのソロホームランと佐野仙好の犠牲フライで同点に追い付き、延長10回に最後は中西清起が締めて、5−5の引き分けで阪神が悲願の優勝を成し遂げた。