ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

想い出のフィールド(20)〜福岡ドーム

福岡ドーム(行った回数:1回)


現在はネーミングライツにより「福岡YAHOO!JAPANドーム」となっているが、今回は元の名称である「福岡ドーム」と表記する。


僕が初めて福岡ドームに行ったのは2006年6月のこと。
その約2ヵ月前には初めてナゴヤドームに行っており、さらにその約2ヵ月前には初めて東京ドームに行ったので、この年はドームツアーの年となった。


新大阪駅から博多行きの「のぞみ」に乗った。
広島市民球場の項でも書いたが、山陽新幹線はトンネルばかりで本当につまらない。
僕は山陽新幹線のとこを「中国山地のモグラ」と呼んでいる。
たまにモグラが地上に出ても、周りは山間風景ばかりだ。
考えてみれば、新幹線で博多に行くのは初めてだ。
初めて九州に行ったのは中学の時の修学旅行だったが、新幹線を使ったのは帰りのみで、行きは別府までのフェリーだった。
まあ、山陽新幹線がつまらないとは言っても、九州新幹線との直通列車「みずほ」「さくら」には乗ってみたい。


新幹線は博多に着き、そこから地下鉄に乗り換えて唐人町駅に着いた。
しかしここからが遠い。
10分以上は歩いただろうか、ナゴヤドームよりも遠く感じた。
しかもナゴヤドームの場合は駅から橋一本で繋がっているが、福岡ドームの場合は普通の道なのでどう行けばいいかわからない。
普通なら大勢の人に続いて行けばまず間違いないのだが、どういうわけか人影もまばらだ。
これだけ駅から遠くてどうして連日3万人以上も詰めかけるのか不思議なくらいだ。
聞けば、バスを利用する客が多いのだという。
やがて、雄大な福岡ドームの姿が見えてきた。
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福岡ドームはご存知の通り、日本の野球場で唯一の開閉式ドームである。
つまり、晴れた日はデーゲームなら青空、ナイトゲームでは夜空の下で爽快な気分で観戦できるし、雨が降れば屋根を占めて試合中止にさせないという、実に優れた球場だ。
さらに日本シリーズが行われる10月の午後2時頃に、最高のコンディションになるように設計されている。


しかし、実際に屋根を開いて試合が行われたことは、近年ではほとんどない(2008年9月10日のソフトバンク×楽天戦で行われたのみだ)。
理由は、デーゲームではボールが見にくいと選手からクレームがついたことや、ナイトゲームでは騒音が問題になるためだという。
「宝の持ち腐れ」とはこういうことを言うのだろう。
せっかくの開閉ドームなのに、屋根を開くことができないのだから。
ホークスが勝った時のみファンサービスで屋根が開けられるが、開閉には100万円ほどの費用がかかり、この経費もバカにならないだろう。


球場内に入った。
スタンド下の売店の雰囲気は大阪ドーム(京セラドーム大阪)にそっくりだ。
いや、先に完成したのは福岡ドームだから、大阪ドームの方が福岡ドームにそっくり、というべきか。
そして、スタンド内に足を踏み入れた。
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観客数の実数発表前では、福岡ドームの観客収容人数は48,000人となっていたが、スタンドは東京ドームよりも明らかに小さい(東京ドームは公称55,000人、実際には46,000人ほど)。
現在では福岡ドームの観客収容人数は36,723人と公表されている。
それにしても、福岡ドームも開閉式という以外は他のドーム球場と大同小異だ。
昔は球場の一部分を見ただけでどこの球場か一瞬で当てることができたが、現在のドーム球場では一瞬で当てる自信がない。


特徴があるとすればスコアボード。
最近では珍しいオレンジ1色の文字となっている。
その下は世界最長と謳われたスポーツバー。
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七回裏になると「いざゆけ若鷹軍団」が流れ、ジェット風船が打ち上げられる。
ただし、福岡ドームの場合は屋根があるので、あまり飛ばない風船が使用される。
もちろんスタンドはホークスのイエローで埋めつくされる。
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この日はホークスがゴールデンイーグルスに勝ったため、場内を暗くして花火が打ち上げられた(花火の写真はなし)。
残念ながら、小雨が降っていたため屋根は開かなかった。
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試合後、ドームの外を散歩した。
ホークスショップがあるのは当然だが、それ以外にもオシャレな店が入居するデパートがあり、映画館なんかもあって、試合が終わったのにまだ人で溢れていた。
このあたりは大阪ドームとは明らかに異なり、バファローズも参考にすべきだろう。
この日の夜は長浜に行ってみた。
もちろん豚骨ラーメンを食うためだが、実は僕は豚骨ラーメンが好きではない。
でもせっかく博多に来たのだから食ってみようと思った。
食ってみると……、やっぱり臭いし舌に合わない。
やはり僕は鳥ガラ醤油ラーメン派だ。


翌日は平和台球場跡に行ってきた。
言うまでもなく、福岡ドームができるまでの福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の本拠地である。
だが、福岡の人にとってはむしろ西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の本拠地と言った方が、ずっと思い入れが深いだろう。
昭和30年代には西鉄黄金時代を迎え、稲尾和久中西太豊田泰光大下弘らが平和台球場で大暴れした。
しかし、黒い霧事件により主力選手が次々に永久追放されチームは弱体化、イメージも悪くなり西鉄は球団を手放さざるを得なかった。
僕が野球を見始めた頃には既に西鉄ライオンズはなく、名称も太平洋クラブ・ライオンズになっていた。
いわゆるネーミングライツだが、チームは弱く人気も下降する一方で、名前もやがてクラウンライター・ライオンズとなったが好転せず、遂に1978年シーズン終了後に関東の西武グループに売却され、福岡の地を離れることとなった。
日本のプロ野球はファン無視で球団が売買され、平気で本拠地を移転してしまう。
甦れ!俺の西鉄ライオンズ」という歌では、「ライオンズを返せ!」という福岡のファンの心の叫びが歌われている。


西鉄ライオンズ時代は、本拠地が九州の福岡にあるというだけで大きなハンデだった。
当時はまだ新幹線が通ってなかったし(博多まで新幹線が通るのは1975年)、国内航空便も発達していなかったので、長い時間夜汽車に揺られて移動するしかなかった。
パ・リーグの球団で一番近いのは南海・近鉄・阪急という大阪の球団だったのだから、東京や大阪の球団とは比べ物にならないほどの過酷な移動を強いられたのだ。
それでも西鉄は福岡の地に留まったのである(まあ、西日本鉄道は福岡の私鉄なのだから、身売り以外に本拠地移転はありえなかったのだが)。
しかし新幹線をはじめ交通網が発達した昭和50年代半ばに埼玉へ本拠地移転し、首都圏の球団過密状態に拍車をかけたのだから(巨人、日本ハム、ヤクルト、横浜大洋、ロッテに西武を加えて6球団)、明らかに時代に逆行したと言える。
それでも埼玉に移転した西武ライオンズが最強チームにのし上がったのだから、球団譲渡は大成功とも言えるのだが……。


ライオンズが福岡を去ってから10年、福岡からプロ野球が消えていたが、思わぬ形で戻ってきた。
1988年シーズン終了後、かつて西鉄ライオンズの最大のライバルだった南海ホークスがダイエーに経営譲渡、大阪から福岡に本拠地移転されてきた。
なんとかつてのライオンズファンは、憎っくきホークスを応援する羽目になったのである。
これもファン無視と言えなくもないが、それでも福岡のファンはホークスを大歓迎した。
野球を失った辛さを二度と味わいたくない、もう離すもんかと、まるで10年前に死んだ恋人とそっくりの女性が現れたような感覚だ。
可哀そうなのが大阪の南海ファンだが、当時の関西はパ・リーグだけでも南海、近鉄、阪急(同じ年にオリックスに経営譲渡)と三球団もあり、セ・リーグでは阪神があったのだから飽和状態と言ってもいい。
そう考えれば、本拠地移転も致し方なかったと言える。


九州にライオンズがあった頃も、ライオンズの試合などテレビではほとんどやっていなかったから、平和台球場がどんな球場だったかほとんど憶えていない。
むしろ、ライオンズが埼玉に行ってからの方が、阪神の九州シリーズで使用されたり、日米野球も行われたので、テレビでもよく見ていた。
ライオンズが去ってからの平和台球場は人工芝が敷かれたから、僕の印象としては平和台球場は人工芝球場だ。
それにしても、主(あるじ)を失った平和台球場に、なぜわざわざ大枚はたいて人工芝を張ったのだろう。
どうしても福岡にもう一度プロ野球団を呼び戻そうという、福岡の人の執念だろうか。


博多から地下鉄に乗って赤坂駅へ行った。
駅を降りてしばらく歩いていると、福岡城跡の公園内に平和台球場跡があった。
ここから遺跡が発掘され、それでも外野席の一部が残されていた。
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ここが西鉄ライオンズファンを熱狂させたとは思えないほど、静かな地となっていた。
ここを訪れた西鉄ファンは、どんな感慨にふけるのだろうか。


現在ではもう、平和台球場を偲ばせるものは完全に解体されたという。