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ネターランド王国

国王:ハードフォーク安威川トークン

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:ハードフォーク安威川トークン」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

想い出のフィールド(6)〜藤井寺球場

藤井寺球場(行った回数:多数)


大阪府南部の藤井寺市に存在した藤井寺球場
大阪都心部にあった大阪球場日生球場と違い、大阪のベッドタウンにあった。


大阪市の天王寺に隣接する近鉄南大阪線の大阪阿部野橋駅から準急に乗り約20分で藤井寺駅に着く。
そこから徒歩3分の距離に藤井寺球場があった。
甲子園球場や西宮球場、西武ドームと同じく、電車収入を見込んだ鉄道会社保有の典型的な郊外型球場である。
都心からは離れているが、駅からは近いのは便利だ。


都心型球場と違い、郊外型球場なら土地を贅沢に使えるだろうと思われるかも知れないが、そんなことはない。
藤井寺球場の外野席のすぐ外側は道路となっており、敷地は非常に狭かった。
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この道路一本を隔てたところに団地がある。
この立地条件が藤井寺球場の運命を決定付けた。


藤井寺球場近鉄バファローズの親会社である近畿日本鉄道(近鉄)が建設し、保有している球場である。
当然のことながら、近鉄バファローズにとって自前の本拠地球場になるはずだった。
プロ球団の本拠地球場になるからには、当然照明設備が必要だ。
ナイトゲームなくしては、球団経営は成り立たない。


ところが、藤井寺周辺の住民は、照明設備建設について断固反対した。
なにしろ、道路一本隔てたところに球場があるのだ。
そんな場所でナイトゲームでもされると安眠妨害にもなるし、治安の面でも問題になる。


そのため、藤井寺球場には長い間照明設備が造られずに、「日本のリグレー・フィールド」として、デーゲーム専門の球場となっていた。
この間、近鉄球団は照明設備のある日生球場を事実上の本拠地として、藤井寺球場は週末のデーゲームでの使用のみとなってしまった。
せっかく沿線上に自前の球場があるのに、日生球場を借りて近鉄沿線とは関係ない場所に本拠地を構えるというのは、球団としては断腸の思いだっただろう。


その波及は、日本シリーズにまで影響した。
1979年、近鉄はパ・リーグ初優勝を遂げたものの、日本シリーズでは照明設備のない藤井寺球場を使用できず、準本拠地の日生球場も収容人員が日本シリーズ規定の3万人に満たないということで開催できなかった。
代わりに近鉄の本拠地球場として使用されたのが、ライバル球団である南海ホークスの本拠地・大阪球場である。
近鉄にとって南海と言えば、球団にとってのライバルだけではなく、鉄道会社として同じ南大阪に根を張るライバル同士でもあったわけだ。
ちなみに、日本シリーズ史上伝説の名勝負となっている「江夏の21球」も、この年の大阪球場で演じられている。
もし藤井寺球場に照明設備があれば、この伝説は藤井寺球場で刻まれたはずなのに、南海電鉄お抱えの大阪球場で球史に残るドラマが演じられたのは皮肉だ。


その後、周辺住民との話し合いの末、騒音を外に漏らさないこと、鳴り物応援を禁止することを条件に両者の折り合いがつき、1984年に遂に照明設備が完成する。
近鉄球団の長い間の念願だった藤井寺球場でのナイトゲームが実現されたのだ。
これを機に、藤井寺球場は名実ともに近鉄バファローズの本拠地球場として歩みだした。
さらに外野のみ人工芝となった。
人工芝球場に照明設備というのが、近鉄球団の悲願だったのだろう。
当時は人工芝球場が時代の最先端だと思われていたのだ。


照明設備が出来て名実ともに近鉄の本拠地となった藤井寺球場は、1985年には初のオールスターゲームが開催され、1989年にはリーグ優勝したことにより、初の日本シリーズ開催となった。
しかも相手は球界の盟主・巨人である。
このシリーズは近鉄が3連勝と圧倒的に有利な立場となったが、加藤哲郎の「巨人はロッテより弱い」発言により巨人が発奮し3連勝、3勝3敗となって藤井寺決戦で加藤から駒田がホームランを放ち、巨人が日本一となった。
近鉄は初の日本一を逃したが、藤井寺球場で伝説の名勝負を演じられたのだから、良かったのではないか。


やがて大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)の完成に伴い、藤井寺球場は本拠地球場としての役割を終えた。
さらに球界再編により、大阪近鉄バファローズはオリックス球団に吸収合併され、事実上その姿を消した。


僕にとっての藤井寺球場とは、家から最も近い球場だった。
僕の家から最寄り駅まではバスで約20分だが、その駅から藤井寺駅まで僅か4駅。
都心から離れた球場でも、僕にとっては最も手軽に行ける球場だった。
おそらく、僕が最も多く訪れた球場である。
郊外型球場でありながら駐車場がないのは難点だったが、近くに大型スーパーがあり、そこで3000円以上の買い物をすると駐車料金が無料になったので、そこに駐車して3000円分のCDや服を買っていたものだ。


こんな近い場所でオールスター戦や日本シリーズが行われて、スーパースターが集っていたのかと思えば、ちょっと不思議な気がする。
ネット裏のスタンドからは、レフト方向に二上山や葛城山、金剛山の山々が見られた、実にのどかな球場だったのだ。


この名物球場も、やがて取り壊される時が来た。
実は上記の写真は、取り壊されている最中に撮影したものだが、写真を撮っている時に一人のおじさんに声を掛けられた。
藤井寺球場を撮っているのか?」と。
僕が「そうです」と答えると、おじさんは僕に写真をプレゼントしてくれた。


なんでもそのおじさんは、例の外野席後方の団地に住んでいる人で、当然のことながら藤井寺球場の照明設備断固反対の立場を貫いていたとのこと。


では、今の気分はどうですか?と尋ねたら、こう答えた。


「あの時は反対したけど、やっぱり藤井寺球場がなくなるのは寂しいなあ」


そして
「もし良かったら、この写真をあげるよ。団地から撮った写真だ」
と言って、僕に写真をくれた。
それがこの写真である。



現在、藤井寺球場は完全に解体され、四天王寺学園小学校となっている。





藤井寺球場での野茂英雄のプロ初登板