鉄橋撤去許可局、なんてのがあるのかどうかは知らないが、日本を代表する鉄橋が間もなく姿を消す。
兵庫県の日本海側に存在する鉄道用の鉄橋、余部(あまるべ)鉄橋(正式名称は「余部橋梁」)が、今年の7月16日にその役目を終え、コンクリート製の新橋梁にその座を譲る。
餘部鉄橋は1912年(明治45年)に完成した。
ただし、当時の日本の技術では完成は難しく、設計はアメリカの会社、鉄骨材料はアメリカとイギリスからの輸入だった。
高さ41m、全長309mという、当時は東洋一の鉄橋であり、この難工事が成功したために山陰本線が開通することができた。
時代はグーンと下って、餘部鉄橋の名前が知れ渡ったのが、1986年(昭和61年)に起こった転落事故である。
41mの高さに、日本海から吹き荒れる強風に煽られて列車が転落、多くの犠牲者が出た。
余部鉄橋で風速25m/s以上の風が吹いていると通行止めになるが、回送列車だったせいかそのまま通過させ、痛ましい事故に繋がった。
完成100周年寸前(今年で98周年)で余部鉄橋も使用されなくなるということで、実際に見に行ってきた。
新大阪駅発の特急「北近畿」に大阪駅から乗って、一路余部へ。
「北近畿」は東海道本線で尼崎駅へ行き、そこから福知山線に入り、福知山駅からは山陰本線に入って城崎温泉駅に到着、ここまで3時間弱。
特急から普通列車に乗り換えて、城崎温泉駅から西へ約1時間で餘部駅に着いた。
餘部駅に着く直前、余部鉄橋に差しかかった。
余部鉄橋から日本海を一望する。
餘部駅から見た余部鉄橋。
右側はコンクリート製の新橋梁である。
餘部駅から、41m下の地上に降りた。
余部鉄橋の真下からの写真。
余部鉄橋の遠影。
と、その時!
偶然にも特急「はまかぜ」が来た!
なんという幸運だろう!
余部鉄橋を渡る唯一の特急を撮影できるなんて。
ちなみに、「はまかぜ」は甲子園には行きませんのであしからず。
こちらは余部鉄橋とは反対側の、山側(南側)から見えるコンクリート製の新橋梁。
奥に見える余部鉄橋の鉄骨橋ゲタに比べると、コンクリート製は本数も少なく、幅も狭いのがわかる。
明治と平成の工事技術の差か。
長年、余部鉄橋による危険と騒音の被害にさらされてきた地元住民だったが、やはり愛着は大きいらしく、ギャラリーも存在した。
一通り余部探索した後、帰路につくため餘部駅に戻る。
……が、これが容易ではない。
さっきの写真でわかるように、餘部駅は余部鉄橋と同じ高さにある。
そこから下に降りたということは、要するに41m登らなければならないのだ。
餘部駅には駅舎は存在しない。
余部鉄橋と同じ高さのところにホームがあるだけだ。
地上からホームまでの階段すらなく、ただ山道が続くだけである。
下りは苦にならなかったが、登りは大変だ。
たかが列車に乗るために、41mの山登りをえっちらおっちらしなければならないのである。
もちろん、エレベーターやエスカレーターなどあるわけもない。
完全にバリヤフリー失格の駅である。
まあ、この運動が老化防止に役立っているのかも知れないが……。
餘部駅から城崎温泉駅に戻り、京都行き特急「きのさき」に乗り込んだ。
すると、行きの「北近畿」には無かった、車内販売があった。
メシを食うヒマがなかったので、これ幸いと弁当を買った。
日本海と言えばやはりカニでしょう、ということで、「かにずし」を堪能した。
ちなみにこの車内販売は、城崎温泉駅〜豊岡駅までの、僅か2駅間でしか行っていなかった。
JRももっと車内販売サービスをして欲しいんだけどなあ……。
それが旅の楽しみなんだから。
「きのさき」は京都行きだったため、福知山で天橋立駅発、新大阪行きの特急「文殊」に乗り換えた。
ルート的には行きの「北近畿」と同じだったわけだ。
ではここで、恒例の「関西難読駅名クイズ」!
下記の駅名の読みを答えよ。