野球の記録法で厄介なものの一つに自責点がある。
自責点か否かを判断するのは、結構ややこしい。
自責点とは、投手自身の責任による失点のことだ。
たとえば三塁ランナーが、エラーによって生還しても、失点とはなるが自責点にはならない。
無死からエラーによってランナーが出て、次打者が2ランを打った時、失点は2点だが、自責点は1点となる。
なぜなら、エラーで出た走者は投手の責任ではないからだ。
ホームランは当然、投手の責任である。
つまり、2点の内1点だけが投手の責任、ということになるわけだ。
あるいは、こういう場合もある。
二死からエラーによってランナーが出て、次打者が2ランを打った時、失点は2点だが、自責点は0点だ。
なぜなら、このエラーがなければスリーアウトでチェンジになっているはずだからである。
つまり、この後この投手がこの回に何十点取られようが、自責点は0点だ。
昨日の阪神×横浜戦で、こんなことがあった。
阪神の攻撃で、無死無走者から投手の寺原のエラーで無死一塁。
次打者のマートンが二塁打を打って一塁ランナーが生還した。
この際、寺原に自責点が付くか?
正解は、自責点は付かない。
寺原自身のエラーなのだから、投手に責任があるだろうと思われるかも知れないが、野球の記録ではそうはならない。
なぜなら、自責点とは投球に関する責任になるから、投手のエラーであろうと自責点には反映されないのである。
この後、平野が送りバントをして一死三塁、ここで鳥谷が三塁打を放って1点追加。
この1点は寺原の自責点になる。
最初のエラーには関係なく、マートンの二塁打は寺原自身の責任だからだ。
さらに一死三塁から金本が犠牲フライを放って1点追加。
しかしこれは、寺原の自責点とはならない。
なぜなら、最初のエラーがなければ犠牲フライとはならず、スリーアウトでチェンジとなっていたはずだからである。
したがって、この回の寺原は失点3、自責点1となる。
防御率に反映されるのは失点ではなく自責点なので、投手にとってはデリケートな問題だ。
ところで、この自責点にも日米の解釈の違いがある。
偶然にも、今日の阪神×横浜戦でそんなケースが起こった。
横浜の攻撃で二死無走者、ここで阪神の下柳から金城がヒットで出塁。
次打者の村田が二塁打を放ち、二死二、三塁。
と思いきや、桜井からの中継プレーが乱れて、それを見た金城が一気にホームイン。
もし金城が中継プレーに関係なくホームを目指していたらエラーは付かないが、金城は一旦ストップし、中継プレーの乱れを見てからホームに突入した。
そのため、桜井にエラーが付き、当然のことながら下柳には自責点は付かない。
問題はこの後である。
二死二塁で次打者のスレッジがヒットを放ち、二塁から村田が生還した。
この生還は下柳の自責点となる。
桜井のエラーがあったとはいえ、普通ならアウトにできるという性質のエラーではなかったため、下柳の自責点となってしまうのである。
したがって、この回の下柳は失点2、自責点1となる。
ところが、アメリカ流の解釈では、失点2は当然だが、自責点も2点となってしまうのだ。
なぜなら、桜井のエラーがなくても、スレッジのヒットで2点入っていた、と判断されるからだ。
桜井のエラーがなければ二死二、三塁で、たしかにスレッジのヒットで二者生還できる。
事実、村田はスレッジのヒットで二塁から生還している。
もっと極端な例を出すと、一死三塁でパスボールがあって1点を取られても自責点とはならない(当然、ワイルドピッチなら自責点となる)。
これは日米共通である。
しかし、次打者が犠牲フライに相当するような外野フライを打つと、アメリカではパスボールによる失点は自責点になってしまうのだ。
パスボールがなくても外野フライによって1点入るだろう、という考え方である。
つまり、日本では点が入った時に自責点でなければその後どうなっても自責点とはならず、アメリカではイニング終了時点で自責点か否かを決める、という違いがあるのだ。
僕はアメリカ方式の方が理に適っていると思うのだが、このあたりの記録法も統一すべきではないのだろうか。