ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

甲子園リニューアル

3月21日、春のセンバツが開幕し、甲子園に行ってきた。
夏の開会式には去年行ったが、春の開会式は中学生の時以来二度目である。


三連休の中日とあってか、かなりの観衆が詰めかけていた。
センバツの開会式と言えば、花火と共に出場校の旗が一斉に出てくるというのが特色だったが、今年はなかった。
このあたり、春の特色がなかったのは少し残念。


ところで、例年の高校野球とは異なる風景があった。
それが下記の写真である。


どこが変わったかお気づきだろうか?
実は昨年までは、高校野球期間中は外野フェンスの広告は隠されていて、「主催・日本高等学校野球連盟 毎日新聞社」という垂れ幕が掛かっていたのである。
右中間のフェンスには「第○○回選抜高等学校野球大会」の垂れ幕が掛かっていたが、今年は普通の広告看板になっていた。
夏の大会の場合は「毎日新聞社」の部分が「朝日新聞社」、「選抜高等学校野球大会」の部分が「全国高等学校野球選手権大会」になっていたわけだ。
いよいよ高野連も商業化を容認したわけか。
ちなみに、テレビに最もよく映るバックネット下の広告看板は、今年も隠されていて、申し訳程度に大会名が掲げられている。


ところで、かつてセンバツの時の外野フェンスには、歴代優勝校のプレートが掲げられていた。
これを見るたびに「春が来たな」と実感していたが、あることが理由でこのプレートが全て外された。
どんな理由かご存じだろうか?


1984年の第56回大会一回戦、佐賀商×高島の一戦で、佐賀商の中原康博選手が放った左中間への打球がワンバウンドしてラッキーゾーンに入った。
当然、エンタイトルツーベースとなるところだが、二塁塁審は右手をグルグル回してホームランのゼスチャーをした。
高島側からの抗議もなかったので、そのままホームランと認定された。
しかも満塁だったので、本来なら2点で済むところが満塁ホームランとなってしまったのである。
高校野球では抗議を認められていないと思われているが、そんなことはない。
ルールに関する抗議などはちゃんと認められている。
この場合は明らかにワンバウンドしていたのだから、高島は抗議すべきだっただろう。
おそらく抗議していれば、審判団の協議の末、エンタイトルツーベースに訂正されていたに違いない。
こんなところで変な「高校野球らしさ」など出さず、堂々と抗議するべきである。


この「誤審」の原因になったのが、歴代優勝校のプレート。
ボールと同じ白色だったので、ワンバウンドかどうか見づらかったのである。
テレビで見るとワンバウンドは明らかだったので、その日の内にプレートは全て撤去された。
外野フェンスひとつとってみても、時代の移り変わりが実感できる。


話を元に戻すと、二試合見た後、今年からオープンしたレフトスタンド下の甲子園歴史館に行ってみた。
オープンしたばかりのためか、長蛇の列である。
去年まで同じ場所に資料館があって入場無料だったが、リニューアルした歴史館は入場料500円。
なんと、東京ドームにある野球体育博物館と同額である。
結論から言うと、野球体育博物館よりも遥かに楽しめる内容だった。
もっとも、これは僕が阪神ファン&高校野球ファン&甲子園オタクだからであって、そうでない普通の野球ファンは野球体育博物館の方が楽しめるかもしれない。


今は高校野球期間中だからかも知れないが、入口からいきなり最初にあったのが高校野球コーナー。
過去の名勝負を紹介するビデオ上映も行っていた。


昭和8年当時の、沢村栄治が在籍していた京都商(現・京都学園)のスコアブックまで展示されていた。
現在の一般式(早稲田式)スコアブックと、フォーマットはほとんど変わっていない。


タイガース・コーナーでは、背番号22のホーム用ユニフォームはもちろん田淵幸一、隣りの背番号18のビジター用ユニフォームは安仁屋宗八である。


バックスクリーン裏にあるコーナーでは、手書きスコアボード時代の選手名プレートが飾られていた。
ちなみに、バックスクリーン三連発があった85年は既に電光掲示板になっていたから、上の写真の並びで三連発があったわけではない。
バースが阪神に入団したのが83年で、スコアボードが電光掲示板になったのは84年だから、バースの手書きスコアボードは僅かに一年だけという実に貴重な代物である。
相手チームの選手では、モッカの手書きボードが残されていたのは泣ける。
子供の頃、甲子園の手書きスコアボードに選手名や得点を入れたりするのが夢だった。
実は大変な仕事だったらしいが。


そしてもう少し進むと、なんと甲子園にゆかりのある野球漫画コーナーまであった。
よくぞこのコーナーを設置してくれた。
このセンスは素晴らしい。
「プレイボール」では、墨谷高校は甲子園に出場しないし、甲子園球場の絵すら登場しないのに、よくぞ紹介してくれたものだ。
「プレイボール」に関しては、拙著「野球少年の故郷(ふるさと)・墨谷」を参照のこと。


現在はセンバツ期間中なので、センバツコーナーもあった。
紫紺の大優勝旗も飾られていた。


バックスクリーンの手前には、アメリカン・フットボールの東西学生王座決定戦・甲子園ボウルのコーナーもあった。
ビデオ上映もしていて、関学×日大のライバル関係から京大の台頭など、甲子園ボウルの名勝負が流れていた。


気が付けば、入館してから1時間半も経っていた。
大正13年、1924年に誕生した甲子園球場の歴史の重みが、時間をも忘れさせてくれたのだろう。