ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

新喜劇のコラボ

3月3日から京橋花月で公演する吉本新喜劇に、松竹新喜劇の代表兼座長である三代目・渋谷天外がゲスト出演する。
松竹新喜劇の団員が吉本新喜劇に登場するのは初めてで、その逆も例がない。
吉本興業松竹芸能と言えば、お笑い界における宿命のライバル。
家電業界でたとえるならば「東芝パナソニック」なんてブランドの液晶プラズマテレビを売り出すようなものだ。


関西のお笑い芸人のことを総称して「吉本芸人」とよく言われるが、東京進出している松竹芸能所属の芸人も少なくない。
それでも、関西芸人はみんな「吉本芸人」と、一括りにされてしまう。
笑福亭鶴瓶ますだおかだ北野誠、オセロ、まえだまえだ、横山たかしひろし、TKOらと、吉本興業所属の芸人との違いなんてほとんどわからない。
「関西のお笑い」という素地が共通しているからだろう。
笑いの違いは各芸人たちのセンスであって、所属会社ではない。


そもそも「吉本芸人」なんていう言い方がナンセンスである。
吉本興業は全国展開しており、東京事務所所属の関西弁を話さない「吉本芸人」はゴマンといる。
それを、関西弁を喋るという理由だけで「吉本芸人」と呼ぶという、なんと愚かなことか。


これが新喜劇となると、同じ関西でも吉本と松竹では思想やバックボーンは全く違う。
同じ「新喜劇」という名が付いているが、別物の喜劇と言ってもいいだろう。


歴史が古いのは松竹新喜劇の方で、旗揚げは1948年12月。
ストーリー性を重視し、お笑い要素をふんだんに取り入れながらも最後には泣かせるという「泣き笑い人情劇」を得意としている。
演目は決まっていて、既に何本かある話をローテーションで公演しており、現代物もあれば時代物もある。
役者名がそのまま役名になることはなく、ストーリーごとに役名が変わる。
たとえば渋谷天外が「渋谷天外」という役で登場することはない、ということだ。
言わば古典落語に近いと言っていい。
松竹新喜劇藤山寛美という稀代の大スターを得て、大人気を博した。


一方の吉本新喜劇は、松竹新喜劇に遅れること約10年、1959年3月に「吉本ヴァラエティ」として旗揚げした。
その後「吉本新喜劇」と名乗ったのはもちろん松竹新喜劇を意識してのものだが、松竹新喜劇とは徹底した差別化を図った。
ストーリー性を重視する松竹新喜劇に対し、吉本新喜劇はナンセンスな一発ギャグで対抗。
これでもか、これでもかとギャグを連発し、役者は各々のギャグを披露するスタイルを貫いた。
単純なストーリー展開は、芝居の途中から見ても笑えるものであり、テレビ時代にマッチした。
特に決まった話はなく、キャラクター性を重視し、どんなストーリーでも役名は基本的に役者名をそのまま使う。
古典落語たる松竹新喜劇に対し、吉本新喜劇はテンポのいい漫才といったところか。


松竹新喜劇にとって最大の危機となったのが1990年、最大の看板役者だった藤山寛美が死去した時だ。
ただでさえ1時間半という長い演目がテレビ時代に合わなくなってきており、そこへ絶大な人気を誇る藤山寛美がいなくなったのは大きな痛手だった。
松竹新喜劇の人気を支えてきたのはストーリー性もあるが、やはり藤山寛美の独特な芸によるものが大きかった。
有名な「電話芸」や、絶妙なアドリブは藤山寛美だけに許されていたのだろう。
無名の役者でもギャグやアドリブを連発していた吉本新喜劇とは対照的である。
藤山寛美がいなくなると、松竹新喜劇はテレビから撤退せざるを得なくなった。
パッとテレビを点けて、松竹新喜劇を途中から見ても、全然笑えないだろう。
最初からストーリーを追わないと、面白さがわからないのである。
しかし、順を追って話を理解すると、松竹新喜劇吉本新喜劇よりも遥かに面白い。
だが、それが時代に合わなかったというところか。


一方の吉本新喜劇は、一時期ワンパターンのギャグが飽きられ「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」により存続が危ぶまれたが、劇団員のテコ入れなどによって見事に復活。
テレビ時代を生き抜き、公演でも予約しないとチケットが取れないほどの人気だ。
テレビ放映と舞台という、車の両輪がうまく回転している証拠だろう。


一方の松竹新喜劇はテレビからは撤退したものの、渋谷天外を中心に全国公演を行っており、本来の舞台上での喜劇を追求している。
そんな渋谷天外が、ライバルの吉本新喜劇でどんな芸を見せるか、実に興味深い。


でも本当は、松竹新喜劇吉本新喜劇の団員を出演させたい気がする。
前述した「(吉本)新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」で、吉本新喜劇の息を吹き返させたのは「心斎橋2丁目劇場」で活躍していた若手芸人たちだった。
彼らは、古臭いイメージだった吉本新喜劇に新風を送り込み、蘇らせた。
その頃、心斎橋2丁目劇場から吉本新喜劇に出演した若手芸人というのが、今田耕司、東野幸治、板尾創路、蔵野孝洋(ほんこん)らだった。
ベテランだった池乃めだかは若手起用に反発したと言われているが、現在では最も味のある吉本新喜劇の役者となっている。
そして、吉本新喜劇の伝統である基本路線そのものは変わっていない。


松竹新喜劇に、違う遺伝子を持つ吉本新喜劇の役者を送り込み、活性化して欲しいと思うのは僕だけだろうか?
それも松竹新喜劇の伝統を壊すことなく、新たなエッセンスを注入するのである。
そこに劇的な化学反応が起こることを期待してしまう。


ちなみに、僕が一番好きな松竹新喜劇の演目は「人生双六」である。
この「人生双六」を、吉本新喜劇の役者どう演じるか、見てみたい。
「人生双六」の勝ち組たる「浜本」役を辻本茂雄、負け組の「宇田(藤山寛美が演じることが多かった)」役を内場勝則あたりが演じてくれたら最高なのだが。