ニューヨークのヤンキー・スタジアムでワールドシリーズ第6戦が行われ、ニューヨーク・ヤンキースがフィラデルフィア・フィリーズを7対3で下し、4勝2敗で9年ぶりの世界一となった。
シリーズMVPはヤンキースの松井秀喜が選ばれ、日本人初のワールドシリーズMVPとなった。
打率.615、3本塁打、8打点が評価されたが、スタメン出場が全試合数で半分の3試合の野手(DH)が受賞するのは珍しいだろう。
しかし、松井秀にはシーズンオフにもう一つの戦いが残っている。
ヤンキースとは契約最終年のため、来季は移籍するだろうとシーズン中から取り沙汰されていたからだ。
もちろん、ワールドシリーズでの大活躍で残留になる可能性もなくはないが、当初の予定通り移籍になっても何の不思議もない。
まさかシリーズMVPを放出することはないだろうと日本人なら考えがちだが、そこはビジネスに厳しいメジャーリーグ、球団経営が最優先される。
ところが、今から30年以上も前の日本プロ野球で、似たようなケースがあったのだ。
1976年、阪急ブレーブス(現・オリックスバファローズ)と巨人が日本一を賭け、日本シリーズを戦っていた。
阪急三連勝のあと、巨人が三連勝して日本一の座は最終戦に持ち越された。
第7戦の後楽園球場、2対1で巨人リードの7回表、阪急の森本潔が起死回生の逆転2ランを放ち、阪急が4対2で逃げ切り、初めて巨人を倒して日本一となった。
森本が日本一を決める逆転ホームランを打ってベース一周したとき、大喜びで森本を迎え入れ、なおかつ心の中で泣いている男がいた。
当時阪急の監督を務めていた上田利治である。
実はこのとき、森本の中日へのトレードが決まっていた。
このトレード話はシーズン中に水面下で極秘裏に行われ、当然森本の耳には入っていない。
松井秀の場合はシーズン中というより、シーズン前から噂されていたことだから、心の準備もできているだろうが、森本の場合はそうではない。
日本一を決めた夜、森本を含む阪急の選手たちは夜の街に繰り出してドンチャン騒ぎをしていた。
しかし上田はホテルの一室に立てこもり、この後のイヤな仕事をどうしようかと考えていた。
つまり、どうやって森本にトレードを告げようか、と。
すると翌日の早朝、上田の部屋をドンドンとノックする者がいた。
顔見知りの記者だった。
その記者が、森本のトレードを嗅ぎつけたのである。
上田はその記者に、頼むから私が森本に伝えるまでは記事にしないでくれ、と懇願した。
シリーズで大活躍したのにトレード話をいきなり新聞に書かれたら、森本のショックが大きすぎる。
記者も特ダネにしたかっただろうが、上田の意を汲んで記事にはせず、上田本人が森本に直接トレード通告した。
森本は、
「新しい道で頑張ります」
と答えたという。
こういう話を聞くと、プロ野球選手というのはつくづく因果な商売だと思う。