ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

ジュニアオールスター

今日、札幌ドームでフレッシュオールスターゲームが行われた。
フレッシュオールスター、と言っても、コーヒーミルクのスターが集うわけではない。


おっと、このネタは関西圏にしか通用しないか。
以前、出張で東京に行ったときに、大阪から一緒に行った人がコーヒーを飲もうとして「フレッシュをちょうだい」と東京の女子社員に言うと、彼女は「はあ?」と怪訝な顔をしていた。
どうやらフレッシュがコーヒーミルクを意味するのは関西圏のみらしい。
ついでに言えば、MBSの「ヤングタウン」が始まる午後10時前には必ず「スジャータ」が10時の時報を知らせていた。


と、今日の話題は別にコーヒーミルクの話ではない。
フレッシュオールスターゲームとは、プロ野球二軍のオールスターゲームのことである。
以前はジュニアオールスターゲームと呼ばれ、若手選手の登竜門とされている。
現在は一流メジャーリーガーのイチローも、無名時代にジュニアオールスターでMVPを獲得した。
もっとも、このころは「イチロー」ではなく「鈴木一朗」だったが。
MVP賞金は100万円。
ちなみに、今日のMVPは北海道日本ハム中田翔が選ばれた。
中田は一流プレーヤーの道を歩むことができるだろうか。


僕はジュニアオールスターというと、思い出す選手がいる。
当時は巨人に在籍した角三男。
かつての巨人ファンにとってはストッパー(クローザー)としてのイメージが強いだろうし、他の野球ファンなら、ブライアントに東京ドームのスピーカーをブチ当てる推定180mホームランを打たれた男、と記憶されているだろう。
現在は「角盈男」という名前になっているが、本名の「三男」とは、要するに角自身が三男坊だったために、テキトーに付けられた名前だったらしい。


角は1976年に巨人にドラフト指名されるが、入団は翌年。
つまり実質的な新人年は78年だったわけで、この年に新人王を獲得する。
僕が今でも鮮烈に憶えているのが、その年の甲子園での阪神×巨人戦。
序盤に巨人が3点を先制して、阪神の藤田平が巨人のエース・小林繁から2ランを放ち、1点差に詰め寄る。
そして中盤の阪神の攻撃、逆転のチャンスを迎えてバッターは前打席で小林からホームランを打った藤田と、絶好調の掛布雅之という、左打者二人。
ここで巨人の長嶋茂雄監督は小林を右翼に回し、リリーフに新人の角を送り込んだ。
誰もが驚く投手起用で、角は藤田、掛布を連続三振に打ち取り、ピンチを脱した。
角はこの二人に投げただけで降板、ライトから小林が再びマウンドに戻り、その後は阪神打線をピシャリと抑えて巨人が勝った。
この試合後、長嶋監督は「勝利投手は小林だが、真のヒーローは角だ」と言い放った。


この頃の角はMAX137km/h程度だったが、スピードボールが印象に残っている。
スピードガンに表示される数字以上に、球のキレが良かったのだろう。


新人王を獲得した角だったが、翌79年には奇病が発症する。
「四球病」というヤツだ。
今でも語り草になっている札幌円山球場での巨人投手陣の1イニング10四死球、その「主役」が角だった。
ノーコンのレッテルを貼られた角は二軍落ち、前年新人王の面影はなかった。


その年の秋、角は静岡県伊東にいた。
今でも伝説となっている「巨人軍・地獄の伊東秋季キャンプ」に参加するためである。
長嶋監督と杉下茂ピッチングコーチの間で、角について何度も話し合われていた。
このままでは角はダメになる、思い切ってフォーム改造するべきではないか、と。
角の投球始動は横の回転をするためサイドスローに近い。
ところがそこから縦の回転をするため、コントロールがひどくつきにくくなるのだ。


そこで、サイドスローに改造しよう、という結論に至った。
サイドスローにすれば、現在のようなノーコン病は防げる。
しかしそこには、重大な副作用があった。
サイドスローにしておとなしいフォームになれば、暴れ馬的な恐怖心が打者にはなくなり、角の一番の長所であるダイナミックさがなくなってしまうのではないか、と。
何よりも、角自身が長年投げ慣れたフォームの変更を拒否するかも知れない。
しかし、このまま角を埋まらせてしまうのはもったいないと考え、長嶋監督と杉下コーチは考えを角に伝えた。
角に迷いはなかった。
このままノーコン投手で終わるぐらいなら、フォーム改造に賭けてみたい、と。
こうして伊東キャンプから角のサイドスロー転向の特訓が始まった。


次の年、角はなかなか一軍では活躍できなかったが、ジュニアオールスターには選ばれた。
しかしそれは、決して名誉なことではない。
新人王を獲得した選手がまたジュニアオールスターに選ばれるのは、要するに一軍に定着できていない証拠だ。
このとき、テレビの解説者は、角がサイドスローに転向してもダイナミックさがなくなって、しかも右打者にとっては怖くもなんともない、と言っていた。
このままでは一軍に通用しない、と。
でも僕は、このときの角の投球を見て、凄い球を投げているな、という印象を持った。
右打者にとって怖くない、どころか、右打者に対してインハイに投げ込み、ボール球をことごとく振らせていて、バッタバッタと三振に斬って取っていたのである。


翌81年、長嶋監督は解任されていたが、角は完全無欠のストッパーとして君臨していた。
サイドスローから繰り出す速球に、打者は高めのボール球をみんな空振りしてしまうのである。
三振数はイニング数を超えるほどの三振奪取率を誇っていた。
これは当時の三振奪取王である江川卓ですら達成できないほどであった。
サイドスロー転向後の角のMAXは133km/h程度。
オーバースロー時代のMAX137km/hはおろか、江川の150km/hには遠く及ばない球速だ。
それでも、打者は角の高めの速球を空振りしてしまう。
球のキレが恐ろしく良かったのだろう。
角はサイドスローになってダイナミックさがなくなるどころか、より打者に恐怖心を与える投手になったのだ。


その自信を付けたのが、前年のジュニアオールスターでの快投だったのかも知れない。