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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

両国国技館

今日の朝日新聞「天声人語」に、1939年(昭和14年)1月15日、69連勝を続けていた横綱・双葉山安芸ノ海に敗れて前人未到の70連勝がならなかったときの様子が書かれていた。
当時の旧・両国国技館は割れんばかりの大歓声に包まれ、ラジオを聴いていた人はアナウンサーの声が聞こえず、どちらが勝ったかわからなかったという。


現在の両国国技館が完成し、再び両国に大相撲が戻ってきたのはそれから46年後、1985年(昭和60年)の初場所のことである。
戦前、双葉山が沸かせた旧・両国国技館は戦時中に日本軍の秘密兵器・風船爆弾の工場となり、その後東京大空襲により焼失。
戦後、改装されるもメモリアル・ホールと改称され、GHQの管理下となり、思うように大相撲開催が出来ぬまま1946年(昭和21年)の11月場所終了後の双葉山引退披露が大相撲興行の最後となった。
旧・両国国技館双葉山と共に歩み、双葉山と共に終わりを告げたと言えよう。


その後は日本大学に譲渡され、日大講堂として生まれ変わった。
日大講堂ではプロレスやボクシングの興行が行われ、格闘技のメッカとして君臨していたが、老朽化には勝てず1983年(昭和58年)に解体された。


旧・両国国技館に代わって戦後の大相撲を支えたのが、両国から見て隅田川の向こう側に建っていた蔵前国技館だった。
蔵前国技館は大相撲以外でもプロレスやボクシングにも使用され、日大講堂でプロレスの同日興行が別団体で催された時は「隅田川決戦」などと呼ばれていた。
旧国技館と新国技館がライバルになってしまったのである。


「本家」の大相撲で蔵前国技館を最も沸かせたのが「栃若時代」の栃錦若乃花(初代)だろう。
共に小兵力士だった両力士はそのハンデをものともせず横綱まで登り詰め、何度も優勝を分け合い、その圧倒的な人気も二分した。
双葉山が引退したあとの大相撲は栃錦若乃花が支えたと言ってよい。


だが、栃錦は蔵前国技館で最高の横綱になったにも関わらず、蔵前国技館に通うときに両国を通るたびに、ここに国技館を造りたい、と考えていた。
なぜ自分を最高の横綱に育ててくれた蔵前よりも、両国に新しい国技館を建てたいと思ったのだろう。
その答えは後に書く。
栃錦は引退し、春日野親方として理事長になった時に、いよいよその夢を実行しようと考えた。
新・両国国技館の建設である。


このとき春日野理事長は鹿島建設に、日本相撲協会の全財産は150億円ですから、なんとかこれで両国に新国技館を造って下さい、と頼み込んでいる。
当初の見積りは約160億円だったが、鹿島建設はソロバンを度外視して約10億円の赤字に目をつむり、日本相撲協会は無借金で新国技館を建設することができた。
このときの春日野理事長の殺し文句は「私はずっと土俵上で相手力士を負かしてきました。今度は社長が(150億円に)負けて下さい」だったという。


こうして新国技館が完成したが、この両国国技館には天井がない。
つまり、鉄骨がむき出しになっているのであるが、これは別に建設費用をケチったから、というわけではない。
鹿島建設では当初、音響効果を考えて天井を張るつもりだったが、春日野理事長が待ったをかけた。
天井を張らず、鉄骨をむき出しにしてほしい、と。


その理由が、冒頭で書いた双葉山×安芸ノ海戦にある。
前述のとおり、旧・両国国技館は興奮の坩堝と化したが、それを目の当たりにしたのがこの場所が初土俵だった他ならぬ栃錦の春日野理事長だった。
観客の大歓声が旧・両国国技館の鉄骨を揺るがし、この光景を見ていた栃錦は足の震えが止まらなかったという。
相撲の故郷たる両国で、後世の力士たちには観客の歓声で鉄骨を揺るがすような、そんな相撲を取ってほしい、と春日野理事長は考えたのである。


今年度の初場所、今日までの取り組みで横綱・朝青龍は三連勝した。
天声人語」では、(国技館は)大きな拍手がわいた、と書かれているが、もちろん鉄骨を揺るがすような沸き方ではない。
当然である。
69連勝していた横綱が負けたからこそ鉄骨が揺らいだのであって、休場明けの横綱が勝っても「鉄骨を揺るがすような」大歓声は起きないだろう。
「無敵の横綱」たる朝青龍が復活し、その朝青龍が負けた時にしか「鉄骨を揺るがすような」大歓声は起きない。
もっとも、国技館の鉄骨を揺るがすほどの大歓声が巻き起こること自体、千載一遇の僥倖ではあるのだが。




双葉山の69連勝に大観衆が酔いしれ、その双葉山が敗れたことにより国技館の鉄骨が大揺れした1939年とはどんな年だったか。
ヨーロッパではドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった。
そして朝青龍の故郷であるモンゴルと、日本が事実上支配していた満州国との国境ではノモンハン事件が勃発。


日本が戦争への道をまっしぐらに突き進んだ時代である。