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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

チャリさんのレフェリー講座

今日、12月第一日曜日はラグビー早明戦の日。
かつては6万人収容の国立競技場に、全国から60万通ものチケット応募があったほどの超人気カードも、今は昔の話。
最近では空席が目立ち、風前の灯となりつつある。
それもそのはず、1990年代初めには数々の名勝負で伝説を作り上げてきた早明戦も、最近では早稲田の一方的な試合が続き、去年は71−7と明治が歴史的大敗を喫するという大惨事で、伝統の一戦も地に落ちたものになってしまった。
さらに今年は、早稲田が対抗戦優勝を逃し、明治に至っては6位に甘んじて大学選手権出場を24年ぶりに逃すという有様。
かつては栄華を誇った早明戦も、今年は単なる消化試合になってしまい、下馬評でも早稲田圧倒的有利で世間の興味も失せていた。


だが、結論から言うと、今年の早明戦は久しぶりに面白かった。
24−22で明治が9年ぶりの勝利。
その結果だけが面白かったわけではない。
両校フィフティーン、特に明治の選手達は消化試合などとは思わせぬほどの気迫を見せ、試合内容でも早稲田を上回った。
また、今年から導入されたELV(試験的実施ルール)が却ってキッキングゲームを生み、今シーズンのラグビーはつまらないゲームが横行したが、この試合に限っては安易なキックを使わず、積極的にボールを回すプレーが多く見られた。
そして24−17と明治リードで迎えた試合終了間際、早稲田が2点差に詰めるトライを奪った。
トライ後のコンバージョンゴール、これを決めれば早稲田が同点に追いつくシーンだったが、キックはポストバーに当たりゴールは決まらず、ノーサイド
勝利が決まった瞬間、明治の選手達は喜びを爆発させ、早稲田フィフティーンは全員うなだれた。
そこには、消化試合の雰囲気など微塵もなかった。
これが定期戦が持つ伝統の重みというものだろうか。
プロ野球で言えば、巨人×阪神戦がペナントレースの行方に関係なく、お互いに負けられない一戦、という意味合いを持つゲームなのだろう。


話は昨日の近鉄×NEC戦の後での、スポーツバーでの会話に戻す。
レフェリーも務めるチャリオットさんによる、ラグビーのルール説明およびレフェリーのシグナルの話に及んだ。
ラグビーにはアドバンテージ・ルールというものがあり、たとえ反則があってもそれが相手側に不利にならなければ反則を取らず、そのままゲームを続ける、というものである。
反則があった場合、レフェリーは笛は吹かなくてもそれを示すために、今はアドバンテージを見ているという意味でレフェリーは手を水平に差し出す。
ところが、チャリさんによるとこのシグナルはレフェリーの義務ではなく、あくまでも選手に対するサービスだというのだ。
つまり、試合は流しているけれども反則はちゃんと見ているよ、今はアドバンテージ中だよ、と選手に教えているわけである。
また、ラインアウトの時は、それに参加していない選手は10メートル下がらなければならないが、レフェリーはそれを制すために後ろに下がれと手を上げて合図をしている。
これもレフェリーの義務ではないそうで、あくまでも選手に反則をさせないための行為にすぎない。
ラインアウトのプレーが終わると、レフェリーは「前に出てきていいよ」と前方に手招きをする。
これらは全て選手がプレーし易いように行っているだけで、レフェリーに課せられた義務ではないのだそうだ。


ラグビーにおけるレフェリーとは、決して反則を取り締まる裁判官ではなく、ゲームを円滑に進めるための演出家としての役割の方が大きいだろう。
つまり、「反則を見つける」ことよりも「反則をさせない」ことの方が重要だということだ。
反則が少なくなればゲームはスムーズに流れ、結果として面白いものになる。
でも、実際にはレフェリーに対する評価は決して高いものではなく、試合中はレフェリーに対するヤジが多数を占める。
上手く裁いて当たり前、ミスをすると容赦なく批判されるという、実に損な役回りだろう。


さらにラグビーにおけるレフェリー事情はかなり厳しいようだ。
チャリさんによると、ラグビーのレフェリーは45歳で定年だそうだ。
随分若い定年制だと思われるかも知れないが、ラグビーのレフェリーは選手と同様、フィールドを駆け回らなければならないので、ある程度の若さと体力がなければ務まらない。
だが、実際には定年を越えてもレフェリーを務めている人が多いのが現状で、後継者がいないためそうせざるを得ないらしい。


レフェリーは基本的にはアマチュアで、レフェリーを務めたところでろくなギャランティを支払われるわけでもなく、せいぜい交通費と弁当が支給されるだけだ。
その上に激務で責任重大の任務でもあり、褒められるよりも罵倒されることの方がずっと多い職務に就こうとする人も少ないだろう。
選手ばかりに育成の目が行ってレフェリー養成が疎かになると、レフェリー不足という深刻なことに陥りかねない。


ラグビーに限らずどんなスポーツでも、審判というのは実に重要な存在である。
だが、日本のスポーツ界は、スター選手を発掘することには躍起になっても、審判員育成についてはあまりにも軽視し過ぎてはいないだろうか。
例えばアマチュアの試合で、プロの審判が裁いても何の問題がないと思われる。
だが、日本にはプロの審判というのがあまりにも少ないのではないか。
重ねていうが、いくら優秀なスター選手がいても、審判がいなければそのスポーツは成り立たないのである。


このことについて、ある提案をしたらチャリさんらから「それはいい、ぜひやってよ」と言われた。
だが残念ながら、僕にはその資金がない。


スポーツビジネスの観点から、審判育成というのは考えられないだろうか。