リチャード・ランセロッティ(登録名:ランス、広島)
1987年度のセ・リーグ本塁打王。
タイトルホルダーでダメ外人呼ばわれされる選手も珍しい。
なぜホームラン王がダメ外人なのかというと、ホームラン王と同時に三振王であり、リーグ最低打率を記録したからだ。
ホームラン王を獲った1年目は、本塁打39本、三振114個、打率.218。
どう計算すればこんな数字がはじき出されるのか、どんな偉大な数学者でも証明が不可能な大問題だろう。
前年まで広島は「純血主義」をとっていて外国人を採用していなかったが、四番の「ミスター赤ヘル」山本浩二引退に伴って、ポスト浩二の白羽の矢が立ったのが久しぶりに採用する外国人・ランスであった(この年、内野手のランディ・ジョンソンも入団。もちろん、ビッグユニットとは全くの別人)。
浩二に代わって四番の座に座ったランスは開幕当初からホームランを連発。
広島の狙い通りと思われた。
しかしすぐに日本の投手に弱点を見抜かれ、たちまち打撃不振に。
たまにホームランを打っても三振の山を築き、低打率に喘いでチャンスにも弱い。
それでも前半の貯金がモノを言ってホームラン王に輝いた。
だが阿南準郎監督の評価は低く、連覇を逃した悔しさも手伝ってか、「四番があんな低打率ではね。あのアッパースイングを直さなければ来年は使えない」と酷評した。
これに対しランスは「打率は上げてみせる。任せてくれ。だが、スイングを変える気はさらさらない」と自分のスタイルを押し通すことを強調した。
来年、ランスが言うように決してアッパースイングを変えようとはしなかった。
ランスが言ったことと違ったのは、打率は一向に上がらなかったことだ。
さらに弱点を徹底的に突かれたランスはもはや日本では通用せず、途中帰国。
不幸にもダメ外人リストに加わった。
だが、ホームラン王に輝いた'87年のセ・リーグには超スラッガーがひしめいていた。
前年まで二年連続三冠王になっていたランディ・バース(阪神)に加え、やはり前年までパ・リーグで二年連続三度目の三冠王を獲得した落合博満がロッテから中日に移籍。
さらに、メジャー・リーグからはオールスターにも選ばれたことがあるアトランタ・ブレーブスの四番打者、ボブ・ホーナー(ヤクルト)が来日。
シーズン途中入団とはいえ、来日早々からホームランを連発。
日本中にホーナーブームを巻き起こした。
バース、落合、ホーナーのスーパースターを抑えてのホームラン王はもっと評価されていい。
そして、ランスはダメ外人愛好家が最も好む「三振かホームランか」の典型的な打者だった。
それだけにファンにも愛され、ホームランを打てば「ランスにゴン」、応援歌は生稲晃子の「麦わらでダンス」だった。
よほどインパクトが強かったのか、平成の世に「ランス39号」なるピン芸人まで誕生させたのだから、ランスはやはり偉大なダメ外人である。
日本滞在期間約1年半。出場200試合。本塁打58本。打点133点。打率.207。盗塁1。三振172。