ジェシー・バーフィールド(巨人)
バーフィールドはトロント・ブルージェイズに在籍し、全米ナンバー1の強肩外野手と言われた。
長打力も素晴らしく、1986年には40本塁打でアメリカン・リーグのホームラン王に輝いた。
その年から始まった日米オールスターゲームでもメジャーオールスターの一員として来日して、強打のメジャーチームの四番に座り、豪快なホームランを日本のファンに披露した。
このシリーズでメジャーは6勝1敗、ホームラン数においては日本の2本に対してメジャーは19本と、パワーで日本を圧倒した。
このシリーズでの日本の四番打者で、パ・リーグで二年連続3回目の三冠王を獲得した落合博満(当時ロッテ。このシリーズでは本塁打0本)は「日米の差は半永久的に埋まらない」と脱帽した。
日本でミスター三冠王の名前をほしいままにしていた男が、事実上のギブアップ宣言をしたのである。
ちなみに、その年のもう一人のミスター三冠王、セ・リーグで二年連続三冠王に輝いたランディ・バース(阪神)のメジャーでの通算ホームラン数は僅かに9本。
当時の日米の実力差は、現在では考えられないほど大きかったのである。
そんなメジャーオールスターチームの四番打者が巨人に入団したのが'93年。
左手首に爆弾を抱えていたが検査の結果、問題はなし。
優勝請負人として大いに期待された。
しかし、日本では苦手の変化球攻めに遭い、全く打てず。
日米野球では、日本の速球投手は自分のストレートがメジャーに通用するのかと真向勝負してくるが、公式戦ではそうはいかない。
しつこいまでに打者の苦手なコースと変化球を突いてくる。
パワーは健在なのでホームランはそこそこ打つものの、打率は2割ちょっと、三振も量産し、全く振るわなかった。
ちなみに、あの「大型扇風機」ことゲーリー・トマソンは日本通算で477打数で151三振、三振率は.317だったが、バーフィールドは344打数127三振で三振率は.369と、トマソンよりも遥かに酷い。
象徴的だったのは、巨人のチャンスでバーフィールドが打席に向かおうとした場面。
ここで長嶋茂雄監督が登場して、なんと球審に代打を告げたのである。
代打に出てきたのは、福王昭仁。
筆者は、チャンスに代打を送られるとはバーフィールドも落ちたものだ、と思うよりも、とうとう福王がメジャーオールスターチームの四番打者を越えたか、という感慨にふけった。
日本滞在期間1年。出場104試合。本塁打26本。打点53点。打率.215。盗塁1。