ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

あの悲劇から13年

今から13年前の1995年、日本人にとって三つの悲劇が起きた。
一つ目は、言わずと知れた1月17日の阪神大震災
二つ目は、3月20日に起きた、あの忌々しい殺人集団・オウム真理教(現・Aleph)による地下鉄サリン事件
そして三つ目は6月4日の「ブルームフォンティンの悲劇」である。


「ブルームフォンティンの悲劇」と言ってもピンと来ない人がほとんどだろうが、日本のラグビーファンにとっては忘れたくても決して忘れることができない悲劇だ。
サッカーファンにとっては「ドーハの悲劇」は永遠に忘れることのできない事柄だろうが、その内容は随分違う。
ドーハの悲劇」は、あと一歩でワールドカップ初出場を得られたのに、ロスタイムで同点ゴールを許し、出場権を得られなかったという、サッカーファンにとっては悔しくも名勝負として記憶される試合である。
しかし「ブルームフォンティンの悲劇」とは、名勝負とはかけ離れた、恥ずべき試合だ。
この試合は、南アフリカで開催された第3回ラグビーワールドカップでの日本×ニュージーランド戦のことだ。


予選リーグ三戦目、2戦2敗で既に予選リーグ敗退が決まっていた日本(以下、ジャパン)はブルームフォンティンで、2戦2勝で既に決勝トーナメント進出を決めていたニュージーランド(以下、オールブラックス)と対戦した。
ハッキリ言って、消化試合である。
ただ、消化試合とは言ってもそこは世界最高峰のワールドカップ、当然のことながらこの試合もテストマッチだ。
テストマッチとはラグビーでは国別対抗試合の最重要試合のことであり、この試合に出場した選手は「キャップ」という、ラガーマンとして最高の名誉を獲得できる。


つまり、消化試合とは言っても世界中のラグビーファンから注目された一戦だったが、ここでジャパンは大失態を演じた。
試合開始早々、次から次へとトライを奪われ、終わってみれば17−145という記録的大敗。
この試合はジャパン最大の汚点とされ、現在でもワールドカップにおける最多失点のレコードとなっている。
まさしくジャパンはこの試合で世界に対し、大恥をかいた。


これ以前にも1987年に日本協会は第1回ワールドカップチャンピオンになったばかりのオールブラックスを日本に招き、ジャパンとテストマッチを2試合行ったが、0−74、4−106と、いずれも歴史的大敗に終わっている。
それでも145失点よりはマシじゃないかと思われるかも知れないが、当時のトライは4点であり、トライが5点になっていた95年と比べると大差はない。


ジャパンは永遠にオールブラックスには勝てないと思われていたが、今日、その雪辱のチャンスがあった。
国立競技場でジャパンXV×クラシック・オールブラックス(以下、CAB)の試合があった。
CABとは、オールブラックス経験者によって結成されたチームであり、当然オールブラックスには劣るものの実力はある。
一方のジャパンXVはジャパン(日本代表)の選手によって固めているが、テストマッチではないので「ジャパンXV(フィフティーン)」という呼称になっていて、ジャージーもジャパンの赤白ではない。


ジャパンXVは見事なディフェンスを見せ、鋭く低いタックルを次々と突き刺し、CABにゲインラインの突破を容易に許さなかった。
逆に攻撃ではFW(フォワード)戦でも互角に立ち、BK(バックス)ではウナギステップこと小野澤の見事なトライもあった。
もちろん、CABは本物のオールブラックスの力はなく、チームとしては練習不足で個人技に頼った攻撃でディフェンスはしやすかったのだろうが、それでも今日のジャパンXVのディフェンスは良かったのではないか。


しかし、残念ながらCABもヤバいと思ったのか、こういう試合では異例のペナルティ・ゴールを狙ってまで勝利にこだわり、13−15とジャパンXVは惜敗した。
テストマッチではないとはいえ、13年前の雪辱とはいかなかったわけだ。


日本が「オールブラックス」という名前が付くチームに勝ったことが一度だけある。
それが1968年のジャパン×オールブラックス・ジュニア戦である。
「ジュニア」と付くと何か子供のチームのようだが、そうではない。
これはオールブラックスに準ずるチーム、つまりニュージーランドA代表、という意味である。
現在では「ジュニア・オールブラックス」として2006年から始まったパシフィック・ネーションズ(ジャパンも参加)に参加しており、2年連続全勝優勝している、実力あるチームだ。


今から40年前、ニュージーランドウェリントンでジュニアと闘ったジャパンは、大西鉄之祐監督の「展開・接近・連続」の理論に基づき、「空飛ぶウィング」と称された坂田好弘による4トライの大活躍によって、23−19とまさかの大勝利を挙げた。
ジャパンがジュニアを破る―このニュースは全世界を駆け巡り、坂田は「フライング・サカタ」と呼ばれ、一躍時の人となった。
同大―近鉄というラグビーの名門を渡り歩いた坂田は、その後ニュージーランドの名門・カンタベリー大に留学し、ニュージーランド学生代表(NZU)として来日、日本でウォー・クライ(ハカ)を演じた。
今でもサカタと言えば、ニュージーランドで一番有名な日本人だろう。


40年前の奇跡、13年前の悲劇。
ジャパンがオールブラックスを破る日が来るのだろうか。