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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

猪肉は病気の元?

今日の朝日新聞夕刊で、猪肉(ししにく)を食べた50代の女性がE型肝炎ウィルスに感染していたと報じていた。
猪肉は病気を治すものだと思っていたので、この記事には少々驚かされた。


猪肉で病気を治す話として有名なのが、上方落語の「池田の猪(しし)買い」である。
冷え気に悩む主人公の男に対し、丼池(どぶいけ)に住む甚兵衛という男が、池田の新鮮な猪肉を食えばよい、とアドバイスする。
「冷え気」というのは、早い話が俗に言う「しい気」というヤツで、この病に悩んでいる男性諸氏は池田に行って猪肉を食うがいい。
この落語で有名なのは、大坂から池田までの道順を甚兵衛が教えるくだりで、主人公の男は最初「難波に出て紀州街道をば南へ南へ」行こうとする。
呆れた甚兵衛は「それやと和歌山へ行ってしまうがな。そんなんで池田へ行けるかい」と言うが、主人公は「ほなら和歌山の人は生涯、池田へは行けまへんか?」と団子理屈で答える。
そこで甚兵衛が大坂から池田までの道程を説明する。
今なら梅田へ出て阪急電車に乗ればものの20分で着いてしまうが、当時は当然のことながら徒歩で行くしかなく、一日仕事のちょっとした旅だ。


甚兵衛 「うちを表へ出ると、これが丼池筋じゃ。これをド〜ンと北へ突き当たるな」
主人公 「わぁ〜、デコチン打ちまんな」
甚兵衛 「何でデコチン打つんじゃ?」
主人公 「ド〜ンと突き当たったらゴ〜ンとデコチン打ちまんがな」
甚兵衛 「それは言葉の綾じゃ。すると、この丼池の北浜には橋が無いで」
主人公 「そぉそぉ、昔から無い未だに無い、これ一つの不思議でんな」
甚兵衛 「別に不思議なことは無いな。『橋無い川は渡れん』てなことを言うやろ」
主人公 「渡るに渡れんことおまへんで」
甚兵衛 「どないして渡るねん?」
主人公 「船で渡るとか泳いで渡るとか」
甚兵衛 「それではことが大胆な」
主人公 「ほたら一体どぉせぇっちゅうねん?」
甚兵衛 「左へ少し行くと淀屋橋という橋があるな。淀屋橋大江橋、蜆(しじみ)橋と橋を三つ渡る。お初天神の西門のところに『紅卯(べにう)』という寿司屋がある。この寿司屋の看板が目印やな。こっからズ〜ッと北へ一本道じゃ。十三(じゅうそう)の渡し、三国の渡しと渡しを二つ越える。服部の天神さんを横手に見て、岡町から池田じゃ。言うといたるで、池田でも街中ではあかんねんで。山の手へかかって山猟師の六太夫さんと尋ねたら、大坂までも聞こえた猪(しし)撃ちの名人や。分からなんだら、せえだい尋ねながら行きなはれ」


甚兵衛の言うとおりに行くと、現代でも本当に池田まで辿り着くことができる。
もちろん、現在とは地形が異なり、蜆橋は既に存在せず、中津川も無くなって当然ながら十三の渡し、三国の渡しは運行されていない。
現在では新淀川として一本化され、川幅がベラボーに太くなり、淀川の本流になっている。
しかし、お初天神はもちろん現在でも梅田にあり、服部天神も豊中市に現存し、阪急宝塚線には服部駅、その二駅向こうに岡町駅も存在する。
初天神近くにあったという「紅卯」という寿司屋も当時は実在したらしい。


この噺の最後で、雪が舞う池田で猪撃ち名人の六太夫が主人公と共に猪を撃ちに行き、六太夫が見事に猪を仕留めるが、疑り深い主人公が「この猪、新しいか?(古い肉だと冷え気に効かないため)」と六太夫に問い、とうとう六太夫を怒らせる。
今、撃ったばかりの猪が古いわけなかろう、ということだが、実はこの猪、六太夫に撃たれたわけではなく、銃声にビックリして気絶していただけだった。
気絶から覚めた猪が逃げて行くと、六太夫が主人公に「どぉじゃ客人、トコトコ歩いて行くほど新しい」と言うサゲになっている。
実はこの「池田の猪買い」、元々は「野猪(いのしし)の蘇生(よみがえり)」という小話だったそうで、即ちサゲの部分のみの話だった。
それから色々な話が肉付けされて、大坂から池田へ道中咄となった。


上方落語にはこういう旅ネタが東西南北それぞれあり、「池田の猪買い」は北の噺である。
東の旅は「伊勢参宮神之賑」、西の旅は「明石名所」、南の旅は「紀州飛脚」などの噺がある。


なんて筆者が生まれる遥か昔のことを思い馳せていると、当時は猪肉でE型肝炎にかかった人はいなかったのだろうか、などとどうでもいいことを想像する。
冷え気の男が池田の猪肉を食って「しい気」が治ったとしても、E型肝炎に感染したりしないだろうかと、余計な心配をしてしまう。


もちろん当時は、「E型肝炎」なんて言葉は生まれようもなかっただろうが。