今日、元プロ野球選手の加藤博一さんが肺癌で亡くなられた。
享年56歳、若すぎる死であった。
加藤さんは1970年に佐賀県立多久工業高校卒業後、当時はまだ福岡にあった西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)にテスト生として入団。
ずっと二軍暮らしが続くまま、76年に阪神へ移籍。
その後も芽が出なかったが、79年に新人の江川卓(巨人)からホームランを打ち、一躍脚光を浴びる。
それからは「江川キラー」といわれる一方で、自慢の俊足を活かし、阪神のリードオフマンとなる。
ところが、82年のオフに首脳陣の構想から外され、翌年に横浜大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)に移籍。
85年には近藤貞雄新監督の下、俊足の高木豊、屋敷要と共に、スーパーカートリオと名づけられ、二番打者として完全に定着する。
あまり知られてはいないが、阪神時代はスイッチヒッターで、左腕の大野豊(広島)から右打席でホームランも打ったことがある。
大洋に移って、スーパーカートリオを言われた頃からは完全に左打者として定着した。
加藤さんは野球の実力もさることながら、その明るいキャラクターで人気を博した。
現役時代のシーズンオフ、「プロ野球ニュース」のコーナーで、女性タレントの松居直美と共に司会を務めていたほどである。
当時は、現役選手がテレビ番組の司会を務めること自体、異例中の異例であった。
現役引退後もそのキャラクターを活かし、解説者やタレントとしても活躍した。
阪神時代の後輩である掛布雅之が出演していたレギュラー番組で、掛布が所用で出演できなくなったために加藤さんが代わりに出演した。
そのときは「どうせ俺は、現役時代からカケの代走だよ」などと自虐ネタを語っていた。
そんな加藤さんのエピソード。
現役時代から酒が好きだった加藤さんは大洋に移籍後のキャンプ前に、当時の監督だった関根潤三に言われた。
「キミはお酒が好きなんだってねえ。ただ、大洋では食事のとき以外、宿舎でのお酒は禁止なんだよ。ウチには若い選手が多いし、今から教育しなきゃならんのだ。だからといって、キミに酒を呑むなとは言わん。ただ、お酒を呑みたくなったら、すまんが押入れの中で呑んでくれんか」
加藤さんは関根監督の申し出に思わず吹き出し、宿舎の部屋で酒を呑むことはなかったという。
明るくて、気ィ遣いで、誰からも愛された男の早すぎる死。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。