今日、FIFAクラブワールドカップの二回戦が豊田スタジアムで行われ、日本の浦和レッズがイランのセパハンを3−1で快勝し、準決勝に進出した。
サッカークラブ世界一を決めるこの大会で、日本のチームが出場したのは今回の浦和レッズが初めてであり、しかも4強に進出したのは特筆すべき出来事だろう。
元々このサッカークラブチーム世界一決定戦はインターコンチネンタルカップと呼ばれ、ヨーロッパ代表と南アメリカ代表のクラブチームで世界一が争われていた。
当時はそれぞれの国でホーム&アウェイでの2試合で世界一が決められていた。
しかし、ホームタウンでの観客の熱狂化が問題になり、以降の開催は不可能と判断されて、第三国である日本で開催されることになった。
資金面でも開催が危ぶまれたが、トヨタ自動車がスポンサーとなり、1981年2月(年度としては’80年)トヨタ・ヨーロッパ/サウスアメリカ・カップ、通称トヨタカップという名称でクラブ世界一選手権が続けられることになった。
その頃のトヨタカップの会場は日本最大の観客収容能力を持つ東京・国立競技場だったが、当時の国立競技場は冬芝が枯れてフィールドは茶色、これは今でも変わらないが陸上用トラックがあってサッカー観戦には適しているとは言い難く、今から考えるとクラブ世界一決定戦の場所としてはふさわしいかどうかは疑問である。
とはいえ、まだ日本にはJリーグが無かった時代、世界のスーパースターを目にするのは実に貴重だった。
特によく憶えているのが、フランスの至宝だったプラティニのプレー。
1985年、イタリアのユベントスでプレーしていたプラティニはトヨタカップに出場し、敵陣ゴール前でディフェンスを交わすキックを右足で上げると、そのまま左足でジャンプしてのボレーシュート!
このゴールが見事に決まり、まさしく神技を見せてくれた。
ところがこのプレーはオフサイドと判定され、当然のごとく得点は認められなかった。
この判定に対し、プラティニは国立のフィールドで寝そべってしまった。
1987年、欧州代表のポルト(ポルトガル)と南米代表のペニャロール(ウルグアイ)との対戦。
僕は二ヶ国語放送で聞いてみた。
二ヶ国語放送ではスペイン語で話していたから、ウルグアイ向けの放送である。
スペイン語はわからないが、どう聞いてもペニャロールびいきというのはわかる。
ポルトが1点先制し、ペニャロールが劣勢に立たされていたが、後半の終盤にペニャロールが同点のゴールを決めると、ウルグアイのアナウンサーは涙を流さんばかりに絶叫した。
「ゴォーーール!ゴォーーーール!!ゴォーーーーール!!!」
世界の松下や日テレのアナウンサーなど、可愛く見えるぐらいである。
試合は延長戦に入り、ポルトが決定的ともいえるゴールを決めた。
このときの、ウルグアイのアナウンサーは実にテンションが低かった。
「ゴール、ゴール」
トヨタカップに対する熱の入れようがよくわかった。
当時はさっきも書いたように日本にはまだJリーグは無く、もしあったとしても日本のクラブチームが世界選手権に挑戦できるなどということは夢また夢だったが、方式が変わって日本のクラブチームにも出場のチャンスができ、今年浦和レッズが遂にアジア代表としてクラブW杯に出場して、4強に進出した。
しかも準決勝の相手は欧州代表のイタリアの名門、トヨタカップ二連覇の経験のあるACミランである。
日本のクラブチームがACミランとクラブチーム世界一を争う大会で対戦するなんて、誰が想像しただろうか?
浦和レッズは地元日本で、名門中の名門相手にどんなプレーを見せるか?