カウンター

ネターランド王国

国王:ハードフォーク安威川トークン

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:ハードフォーク安威川トークン」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

明日はどっちだ?司法制度

28日、広島地裁で、2001年に起きた放火による母と娘二人の殺人、さらに保険金詐欺事件の判決公判が行われ、死刑を求刑されていた中村国治被告に無罪判決が言い渡された。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071128/trl0711281153001-n1.htm


一審での死刑求刑で無罪になったのは1978年以来、三度目だという。
つまり約30年に三度しかなかったわけで、やや不謹慎な言い方をすると10年に一度の珍事だったわけだ。
ではなぜ、こんな珍事が起きたのか?
検察側は被告人の自白を元に被告人が犯人である信憑性が高いという主張に対し、弁護側は自白の強要が行われたと主張、裁判長は被告人の訴えを認めた形になった。
しかし裁判長は被告人を無罪だとは言ったが、無実だとは言っていない。
被告人をシロだとは言い切れない、いわばグレーで、かといってクロとも言い切れないと言っている。
さらに、冤罪を防ぐために疑わしきは被告人の有利に、という大原則を厳格に適用した、と裁判長は語った。
つまり、疑わしきは罰せず、というわけだ。


この裁判長の判断は適切だったと思うし、司法の精神から言えば当然のことだろう。
逆に言えば、死刑を求刑するような重大事件で、なぜ検察側は無罪判決を言い渡されるような証拠しか提示しなかったのか?
普通なら、こんなことは絶対にありえない。
なにしろ、10年に一度の珍事である。
検察は、無罪判決が出るような事件を安易に起訴したりはしない。
検察には「無罪判決は恥」という空気が蔓延しているから、無罪になりそうな裁判は行わず不起訴にしてしまう。
つまり、今回の裁判も絶対に有罪、しかも三人殺人、放火、保険金詐欺が重なっているのだから、死刑に持っていける自信があったはずだ。
当然、検察側は控訴したが、おそらくこの裁判は最高裁まで持ち込まれるだろう。
一審で無罪判決が出たのだから、高裁で有罪判決が出ると被告側は上告するだろうし、検察側も有罪判決が出るまでメンツをかけて戦うと思われる。


今回の無罪判決はかなり大きな意味を持っている。
つまり、今までの裁判ではいいかげんな証拠提出でも有罪になっていたということに他ならない。
今回の広島地裁は、検察や警察に対して、今までのような証拠ではもう通用しませんよと、警告を発したのだ。
有罪にしたいのなら、自白だけでなくちゃんとした証拠を提出しなさい、と。
次回の高裁で検察側がどんな証拠を提出するのか注目だ。


この裁判所の判定は、2009年から始まる裁判員制度を睨んでのものだということは火を見るより明らかである。
これからは、法の素人が法廷に入って、人を裁くことになるのだ。
今までのようにお上の論理によって人の一生を左右する判決を下すことはできない。
裁判員に指名された人は、自分が今までの人生で培ってきた知識や価値観、正義感、倫理観をもって、他人を裁かなければならない。
これには大きな責任感が伴うし、ほとんどの人が嫌がる仕事だろう。
日本の司法も大きな曲がり角に来ているといえる。


野球界では「神様、仏様」と称された稲尾和久氏が天に召されたが、本物の神様が人間の目の前に現れて下さらない以上、「人が人を裁く」という難題は、民主主義を発明した人類にとって永遠のテーマなのだろう。