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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

こうして歴史は捏造される

来月18日に大阪市長選挙が行われるが、以前ある新聞が、橋下徹弁護士が出馬か!?とスッパ抜いた。
この報道に対し橋下弁護士は、朝日放送の「ムーブ!」という番組で「500%ありえない」と全面否定した。
ところが数週間後、またもや出馬疑惑(別に悪いことではないのだから「疑惑」というのもおかしいが)報道が出た。
その新聞によると、完全否定しながらまた自民党議員からのオファーを断らなかったのだから、実際は出る気満々に違いない、ということだった。
「ムーブ!」では宮崎哲弥が待ってましたとばかりに突っ込みまくった。


宮崎「なんだ、やっぱり出馬するんじゃないの」
橋下「ち、違いますよ。自民党の先生と食事したのは確かだけど、バカ話ばっかりしてただけで、出馬要請なんて受けてません!」
宮崎「こうして歴史は捏造される!
橋下「だいたい、市長の給料の20倍ものギャラを貰っている『ムーブ!』を降板してまで出馬するわけがないじゃないですか」
宮崎「こうして歴史は捏造される!


結局、橋下弁護士は出馬せず、歴史は捏造されなかった。


昨日、TBS系列のドラマ「3年B組金八先生」でのシーン。
ある女子生徒が「何で制服なんて校則があるのか納得できない」と言って私服で登校し、ホームルームでは、なぜルールが必要なのか議論された。
そんな中で、ある男子生徒が「サッカーの試合中にボールを持って走りだして、ボールをゴールに投げ込んだヤツがいたんだぜ。そのルール無視からラグビーが生まれたんだ!」というエピソードを紹介した。
金八先生もルールに関する議論の中で、ことあるごとにラグビー誕生の話を持ち出していた。


2007年10月25日、こうして歴史は捏造された。


ゴールデンタイムでの「金八先生」という名の通った番組で、かくも堂々と歴史詐称を放送していいのか。
というよりも、10年前には既に消滅したと思っていたこの伝説が、まだゴールデンタイムで放送されるほど生き残っていたのかということに驚いた。


こういう歴史誤認が起こったそもそものきっかけが、イングランドラグビー校に今も残されている碑石にあると思われる。
その碑石に書かれていることを抜粋してみよう。


「1823年、ウィリアム・ウェブ・エリス少年は当時のフットボールのルールを見事に無視し、ボールを腕に抱えて走り出して、ラグビーフットボール独特の形を創りだした」


このことが本当なら、確かに話としては面白い。
しかしエリス少年自体は実在の人物だが、ラグビー校に残されている伝説は、残念ながら現在では信憑性が薄いとされている。
そもそも一人の少年がルール無視をしたからといって、そこから新しいスポーツが誕生したとは考えにくい。


百歩譲ってここに書かれていることが事実だとしても、日本の文献はみんな「フットボール」を「サッカー」と誤訳している。
そんなことは絶対にありえない。
考えてもみて欲しい。
サッカーの試合中にボールを持って走り出したヤツがいたとしたら、それは気が触れた者か、タイガー・ジェット・シンも真っ青の無法者と思われるのがオチだ。
だいたい1823年にはまだ「サッカー」なんてスポーツはなかった。
イングランドフットボール・アソシエーション(サッカー協会)が設立されたのが1863年である。
ちなみにサッカー(soccer)とは、アソシエーション(Association)からsocを取り出し、-erを付けたものだ。


ラグビーとサッカーの元祖は、中世イングランドの農村で行われていた原始フットボールで、千人単位のチーム同士で戦われていた。
ボールを思い切り蹴りこみ、キャッチし、ボール争奪のためにおしくらまんじゅうのような状態でのゲームだった。
ゴールを先に入れたほうが勝ち(即ち試合終了)となったため、試合を長く楽しもうと、敵陣のゴール前でボールを受け取ることを禁止した。
これが今でもラグビーやサッカーに残る「オフサイド」の原型である。


18世紀に産業革命が勃発すると農村社会は崩壊し、近代社会が形成されつつあった。
19世紀初頭、原始フットボールパブリック・スクールに受け継がれ、近代スポーツに発展したが、手の使用はもちろん、原始的フットボールではほとんど行われなかった「ボールを持って走る」という行為も認められていた。
これがまさしくエリス少年の時代である。
しかし、各校によってフットボールのルールがまちまちで、各校同士の対戦に支障をきたした。
そこでイートン校が統一ルールの必要性を訴え、伝統的フットボールの保持を主張するラグビー校と対立した。
何度も交渉したが話し合いは遂に決裂、ラグビー校は会議の場から退席し、イートン校派は1963年、さっきも書いたようにフットボール・アソシエーションを設立した。
ルール統一のためアソシエーションはルールの単純化を図り、遂に1871年、ゴールキーパー以外の選手による手の使用を禁止したのである。
エリス少年による「見事なルール無視」が起こったとされる、実に48年後のことだ。
ルール統一で発展を続けるアソシエーションに対抗し、ラグビー側はまさにその1871年、ラグビーフットボール・ユニオンを設立した。
当然、この際もルール統一が必要だったが、伝統的フットボールのプレーを残した上での統一だった。
手の使用はもちろん、原始フットボールにあったおしくらまんじゅうのようなプレーはスクラム、モール、ラックといった密集プレーに引き継がれた。
こうして、中世イングランドで始まった原始フットボールは、ラグビーとサッカーという二つのスポーツに分かれた。


現在、ラグビーのワールドカップは「エリス杯」と呼ばれている。
もちろん「エリス」とはエリス少年のことだ。
世界のラグビー関係者は、エリス伝説は実在しないと薄々知りながら、未だに「エリス」の名前を使っている。
でも、僕はこれでもいいと思う。
伝説は伝説として、そこにはラグビー創世記における神秘性と伝統の香りが醸し出されているからだ。
事の真実はともかく、伝統的スポーツにはこうした神話が味わいを持たせ、奥行きの深いものにする。
野球で言えば、クーパースタウンにあるダブルデイ・フィールドのようなものだ。
野球の創始者がアブナー・ダブルデイであるという説は現在では否定されているが、だからと言ってダブルデイ・フィールドの価値が下がるわけではない。


だが、こうした歴史的背景を知らずに「ラグビーはサッカーのルール違反から始まった」などといういいかげんなことを軽々しく語ってもらいたくない。
スポーツの歴史というものをあまりにもバカにしている。
そしてこんな荒唐無稽な話を広めたのが、他ならぬ日本ラグビー協会だというのが実に情けない。
ラグビー協会はスポーツ文化をなんと考えているのか。
ここでは書かないが、他にも協会はラグビー伝説を確立するために事実を捻じ曲げ、極端に美化しようとしていたことはまだある。


こうして歴史は捏造される。