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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

日本最強

1995年10月9日、東京ドームで新日本プロレスとUWFインターナショナルとの全面対抗戦が行われた。
この日、新日のファンが「世界最強、新日本プロレス」というのぼりを立てていた。
世界最強、というのはいささか行き過ぎた表現かもしれないが、既に多団体時代を迎えていた当時のプロレス界で、新日は日本最強を名乗ってもいいくらいの実力と層の厚さを誇っていた。
新日のエースだった武藤敬司が「最強」を謳っていた高田延彦にギブアップ勝ちしたのだから、その実力は本物だったのだろう。

ところで3団体時代と言われた1970年代、最強のプロレス団体はどこだったのだろうか。
僕は国際プロレスではなかったかと考える。
国プロは他の新日本プロレスや全日本プロレスに比べ、選手層がかなり厚かったのである。

歴代エースを見ても、グレート草津、サンダー杉山、ストロング小林、ラッシャー木村、マイティ井上と、実に多士済々。
僅か10年ほどの間にこれだけのエースがひしめき合っていたのである。
他にもアニマル浜口、剛竜馬、阿修羅原など、有望株も盛りだくさん。
しかも、世界ヘビー級チャンピオン経験者を見ると凄い。
サンダー杉山、ストロング小林、ラッシャー木村、マイティ井上と、四人もIWA世界ヘビー級チャンピオンになっている。
余談だが、マイティ井上は全日移籍後、世界ジュニアヘビー級チャンピオンになっている。
ジュニアからヘビー級に転向というのはよくあるが、その逆はあまりなく、しかも両階級で世界チャンピオンになった例は極めて珍しい。

'70年代における他団体の世界ヘビー級チャンピオンを見ると、全日ではジャイアント馬場がPWF世界ヘビー級(後に「世界」は削除)、NWA世界ヘビー級王座に就いているのみである('80年代にジャンボ鶴田がAWA世界ヘビー級王座を獲得)。
新日では、アントニオ猪木が世界ヘビー級、NWF世界ヘビー級(後に「世界」は削除)、UWA世界ヘビー級('80年代に長州力藤波辰巳も獲得)王座を獲得している。
つまり、全日、新日とも世界ヘビー級チャンピオンが一人ずつしかいなかったのだ。
ということは、国プロは全日や新日に比べて4倍もの世界ヘビー級チャンピオンを輩出していることになる。
これはボクシングで言えば、協栄ジムと地方ジムぐらいの差があるのではないか。

にもかかわらず国際プロレスは1981年にあっけなく倒産。
吉原功代表は世の不条理を嘆いたことだろう。