1995年10月9日、東京ドームで新日本プロレスとUWFインターナショナルとの全面対抗戦が行われた。
この日、新日のファンが「世界最強、新日本プロレス」というのぼりを立てていた。
世界最強、というのはいささか行き過ぎた表現かもしれないが、既に多団体時代を迎えていた当時のプロレス界で、新日は日本最強を名乗ってもいいくらいの実力と層の厚さを誇っていた。
新日のエースだった武藤敬司が「最強」を謳っていた高田延彦にギブアップ勝ちしたのだから、その実力は本物だったのだろう。
ところで3団体時代と言われた1970年代、最強のプロレス団体はどこだったのだろうか。
僕は国際プロレスではなかったかと考える。
国プロは他の新日本プロレスや全日本プロレスに比べ、選手層がかなり厚かったのである。
歴代エースを見ても、グレート草津、サンダー杉山、ストロング小林、ラッシャー木村、マイティ井上と、実に多士済々。
僅か10年ほどの間にこれだけのエースがひしめき合っていたのである。
他にもアニマル浜口、剛竜馬、阿修羅原など、有望株も盛りだくさん。
しかも、世界ヘビー級チャンピオン経験者を見ると凄い。
サンダー杉山、ストロング小林、ラッシャー木村、マイティ井上と、四人もIWA世界ヘビー級チャンピオンになっている。
余談だが、マイティ井上は全日移籍後、世界ジュニアヘビー級チャンピオンになっている。
ジュニアからヘビー級に転向というのはよくあるが、その逆はあまりなく、しかも両階級で世界チャンピオンになった例は極めて珍しい。
'70年代における他団体の世界ヘビー級チャンピオンを見ると、全日ではジャイアント馬場がPWF世界ヘビー級(後に「世界」は削除)、NWA世界ヘビー級王座に就いているのみである('80年代にジャンボ鶴田がAWA世界ヘビー級王座を獲得)。
新日では、アントニオ猪木が世界ヘビー級、NWF世界ヘビー級(後に「世界」は削除)、UWA世界ヘビー級('80年代に長州力、藤波辰巳も獲得)王座を獲得している。
つまり、全日、新日とも世界ヘビー級チャンピオンが一人ずつしかいなかったのだ。
ということは、国プロは全日や新日に比べて4倍もの世界ヘビー級チャンピオンを輩出していることになる。
これはボクシングで言えば、協栄ジムと地方ジムぐらいの差があるのではないか。