ボクシング漫画の金字塔と言われる「あしたのジョー(原作:高森朝雄、作画:ちばてつや)」。
1968年(昭和43年)の1月1日号から1973年(昭和48年)の5月13日号まで約5年間、週刊少年マガジンで連載された。
これはどんな時代だったかというと、日本が戦後の混乱期から脱して、高度経済成長に邁進していた時期。
しかし、日本が先進国の仲間入りしたからと言って、決して浮かれてばかりいた時代でもなかった。
連載初期は安保闘争の真っ只中であり、連載後期には連合赤軍によるあさま山荘事件も起こった。
日本の世の中は、まだまだ混沌としていたのである。
そんな中、「あしたのジョー」のアニメーションによるテレビ放映が始まったのは1970年(昭和45年)4月1日のこと。
この年は大阪万博が開催され、日本の未来は約束されたように思われた。
が、その反面、アニメ放送の前日には赤軍派によるよど号ハイジャック事件が起こる。
この時、赤軍派のリーダーである田宮高磨は、こう言い放った。
「最後に確認しよう。我々は『あしたのジョー』である」
と。
つまり、田宮ら赤軍派のメンバー(ほとんどが大学生か、それぐらいの若い連中)は、「あしたのジョー」を読んでいたということになる。
要するに「あしたのジョー」は、それまでの「漫画は子供が読むものだ」という固定観念から解き放たれ、若者たちのバイブルとなっていたわけだ。
1970年にフジテレビで始まった「あしたのジョー」は、1年半後の1971年(昭和46年)9月29日で終わりを告げた。
漫画の連載が終わったのは1973年だから、途中で打ち切りという形である。
しかし、人気低迷による打ち切りというわけではない。
主人公の矢吹丈にとって、最大のライバルである力石徹との試合がアニメ第1作でのクライマックスだったのだ。
リング上でのこととはいえ、力石を死なせてしまったことによる後遺症に悩まされるジョー。
しかし、南米の陽気な無冠の帝王、カーロス・リベラと戦うことによってジョーが吹っ切れたところでアニメは終わっている。
「あしたのジョー」がテレビアニメとして復活するのは、第1作が終了してから9年後の1980年(昭和55年)10月13日。
今度はフジテレビのライバル局、日本テレビでの放送だった。
内容は最初こそ第1作とやや被るが、力石戦以降から最後のホセ・メンドーサ戦までである。
問題は、この9年間で日本がまるっきり変わってしまったことだ。
いや、連載が終わった1973年からの7年間と言ってもいい。
1970年代から80年代にかけて、日本は全く変わってしまったのだ。
80年代、日本にはもはや赤軍派などのイデオロギー闘争など全くなく、経済大国として我が世を謳歌していた。
まもなく迎えるバブル時代に備え、社会全体が浮かれていたのである。
その反面、やるせない空気も充満し、校内暴力や家庭内暴力、過労死などの社会問題も表面化しつつあった。
この70年代から80年代の約10年間で、日本は劇的に変化したのである。
その象徴と言えるのが「あしたのジョー」のテーマ曲だ。
同じ作品を扱っているのに、これほどまでに違うのかと感心してしまう。
「歌は世につれ、世は歌につれ」
などと言われるが、歌が世につれることはあっても、世が歌につれることは決してない。
歌で世の中が変わることなんて、ありはしないのだ。
しかし、歌は世の中を反映する鏡だということは確かである。
「あしたのジョー」のアニメによるエンディング、これこそは70年台と80年代をハッキリ分ける歌だと言えよう。
この二つの歌こそが、時代をよく表しているのである。
80年代「あしたのジョー」第2作のエンディング「果てしなき闇の彼方に」