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安威川敏樹のネターランド王国

お前はチョーマイヨミか!?

ネターランド王国憲法

第1条 本国の国名を「ネターランド王国(英名:Kingdom of the Neterlands)」と言う。
第2条 本国の国王は「禁句゛(=きんぐ)、戒名:安威川敏樹」とする。
第3条 本国は国王が行政・立法・司法の三権を司る、絶対王制国家である。
第4条 本国の公用語は日本語とする。それ以外の言語は国王が理解できないため使用禁止。
第5条 本国唯一の立法機関は「日記」なる国会で、国王が一方的に発言する。
第6条 本国の国民は国会での「コメント」で発言することができる。
第7条 「コメント」で、国王に不利益な発言をすると言論弾圧を行うこともある。
第8条 「コメント」で誹謗・中傷などがあった場合は、国王の独断で強制国外退去に踏み切る場合がある。
第9条 本国の国歌は「ネタおろし」とする(歌詞はid:aigawa2007の「ユーザー名」に記載)。
第10条 本国と国交のある国は「貿易国」に登録される。
第11条 本国の文章や写真を国王に無断で転載してはならない。
第12条 その他、上記以外のややこしいことが起きれば、国王が独断で決めることができる。

プレイボール2

2017年4月5日(水)発売のグランドジャンプ№9(集英社)で「プレイボール2」の連載が始まった。

言うまでもなく、1970年代に大ヒットした野球漫画「キャプテン」「プレイボール」の続編である。

 

「キャプテン」墨谷二中の野球部を舞台に、各年代のキャプテンを描くという、いわば主人公が交代していく中学野球漫画だった。

「プレイボール」は「キャプテン」の初代主人公である谷口タカオ墨谷高校に進学後、弱小野球部が東京都内でも有数の強豪校にのし上がっていく姿を描き、「キャプテン」時代のキャラクターも登場する高校野球漫画だったのである。

 

今回、タイトルからもわかるように「プレイボール」の続編が連載されることになった。

「プレイボール」は、谷口の高校三年時の春まで描かれ、最後の夏を迎える前に終了したのである。

その後、谷口にとって最後の夏はどうなったか、ファンの間では続編が待たれたが、残念ながら作者のちばあきおちばてつや実弟)は自らの命を絶ち、「キャプテン」「プレイボール」は永久にお蔵入りになるかと思われた。

 

しかし「プレイボール」の連載が終了した1978年(「キャプテン」の連載終了は1979年)から39年、「プレイボール」が復活することとなった。

ペンを執るのは「グラゼニ」「俺はキャプテン(当然、ちばあきお「キャプテン」を意識した作品)」などの野球漫画でお馴染みのコージィ城倉である。

「プレイボール」復活!のニュースに、心を躍らせた人は多いだろう。

 

筆者が子供の頃、一番熱心に読んでいた野球漫画、いや「野球」に限らず、一番熱心に読んでいた漫画が「キャプテン」「プレイボール」だった。

それが昂じて、執筆したのが「野球少年の郷(ふるさと)・墨谷-『キャプテン』『プレイボール』の秘密-」である。

 

この両作品が連載されていた頃、同時期に絶大な人気を誇っていた野球漫画が、水島新司の「ドカベン」だった。

「プレイボール」と同じ高校野球漫画だったが、メジャーだったのは明らかに「ドカベン」だっただろう。

ドカベン」は連載と並行して、アニメの定期放送を行っていたのである。

当時の小学生で「ドカベン」を知らなかった男の子は、いなかったのではないか。

 

ドカベン」は「巨人の星」のような、実現不可能の魔球が登場する野球漫画とは一線を画しながら、それでも主人公の山田太郎は圧倒的な実力を持ったスーパー高校生だった。

絵柄も劇画調で迫力があり、いかにも少年が好みそうな漫画である。

 

それに比べれば「キャプテン」「プレイボール」は、ほんわかした絵柄で劇画とは程遠い。

主人公の谷口は、野球が元々下手で、その後は努力によって格段に上手くなるが、それでも高校球界全体とすれば平凡な選手に過ぎなかった。

そもそも墨谷高校は、谷口が三年春の段階で一度も甲子園に出場したことが無かったのである。

 

ドカベン」の明訓高校が山田の在学中、5季連続甲子園出場、4回の全国優勝を果たしたのとは雲泥の差だった。

それどころか「プレイボール」での最後の試合、墨谷高校は強豪の谷原高校との練習試合でボロ負けしたのである。

物語のラストを飾ったのが、甲子園のような大舞台とは無縁の練習試合での、ボロ負け。

最後の試合は大観衆を埋め尽くした甲子園球場での優勝だった明訓高校(山田が三年時の夏は「大甲子園」)とはエライ違いだ。

もちろん筆者も「ドカベン」「大甲子園」は読んでいたが、ひねくれた性格からかメジャーな「ドカベン」よりも、マイナー感のあった「キャプテン」「プレイボール」の方を好んで読んでいたのである。

 

水島新司が「ドカベン」を執筆する動機は「打倒!『巨人の星』」だそうだが、実はライバル視していたのが「キャプテン」「プレイボール」だった。

後に水島新司は「僕が絶対に描けない野球漫画を描いていたのが、ちばあきおさんだった」と語っている。

また、二人は草野球でもよく対戦し、お互いの存在を認め合っていた。

さらに、他人の漫画など気にしない水島新司が、ちばあきおの作品だけは読んでいて「ちばさん、大人っぽい絵柄になったな」などと思っていたという。

 

連載終了後、「キャプテン」は特番扱いでアニメ化され、さらにその後にはアニメの定期放送も始まったが、僅か2クールで終わってしまった。

やはり「ドカベン」に比べるとマイナーなのか、とも思ったが、ちばあきおの死後にじわじわと根強い人気が頭をもたげてくる。

連載終了から27年後、21世紀になった2005年には「プレイボール」がUHF形態ながらアニメ化された。

そして2007年には遂に「キャプテン」実写映画化される。

筆者が子供の頃「キャプテン」が実写映画化されるなんて、夢にも思わなかった。

 

コージィ城倉もそうだが、実写版の監督・脚本を務めた室賀厚「キャプテン」「プレイボール」にハマったクチだそうだ。

野球選手で言えば、イチロー新庄剛志といったメジャー経験者も「キャプテン」「プレイボール」の愛読者だったそうである。

 

例えが適切かどうかはわからないが、小学生の頃にクラスの中に可愛くて目立つ女の子がいて、その子が一番モテるだろうと思っていると、後でクラスの男子に訊いてみたら、あまり目立たなかった女の子のことを全員が好きだったということがあった。

連載中はさほど目立たなかったのに、後になって「キャプテン」「プレイボール」が好きだったという人があまりにも多いと、クラスであまり目立たなかった女の子と印象が被ってしまう。

 

今回「プレイボール2」の連載開始に関してネットでトップ・ニュースとなったし、発売日に関西ローカルのラジオ番組を聴いていると「今日発売の『グランドジャンプ』で『プレイボール』が約40年ぶりに復活しました」と女性アナウンサーが話題にしていた。

「キャプテン」「プレイボール」がいつの間にこんなメジャーになったの!?という驚きと、同じ漫画が好きだった人がこんなにも多かったことに対する嬉しさと、この両作品の良さがわかっていたのは俺だけじゃなかったんだという、ある種の独占欲が満たされなかった寂しさもある。

いずれにしても、連載から約40年も経ったにもかかわらず、この根強い人気は驚愕だ。

 

さて、ストーリーの方はと言えば、ここでは書かない方がいいだろう。

ほう、そこから始めるか、という感想だ。

ただ、ちばあきお先生なら、そういう展開にはしないだろうな、という部分もあった。

そしてちびまる子ちゃん」方式だな、と思った。

なにしろ、谷口の家のテレビはどう見てもアナログなのだから――。

 

(文中敬称略)

 

墨高ナインがランニングをしていた(と思われる)東京都墨田区・荒川の土手

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藤浪、金本監督に造反!

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3月31日、プロ野球が開幕した。

日本列島は華やかなムードに包まれたが、全国すべてがそうだったわけではない。

 

阪神タイガース開幕投手ランディ・メッセンジャーを立て、マツダスタジアム広島で広島東洋カープとの開幕戦に勝ったが、これが大波乱の序章となった。

試合後の監督室で大事件が起こったのである。

事の発端は、藤浪晋太郎開幕投手を任されなかったことに納得せず、金本知憲監督に対して不満をぶちまけたのだった。

 

「開幕シリーズ、オレに投げさせてください!」

「え?」

 

金本監督が思わず聞き返したほど、普段はおとなしい藤浪の激しい口調だった。

 

「僕、WBCでも何もやってないです!もう、いいかげん許してください!もう一回オレ、繰り返しますよ!自分の思うことをやります!お願いします!ハッキリしてください、監督!」

 

金本監督は藤浪の主張を黙って聞き入っていた。

 

「去年、二桁勝てなかったオレが言える立場じゃないけど、オレは一体何なんですか、オレは!?」

「本気かい?ええ!?」

 

金本監督が藤浪を睨む。

藤浪も、一歩も引かない。

 

「本気のつもりです!」

「命をかけたのか?命を!勝負だぜお前、この場は!」

「もう何年続いてるんですか!何年これが!?」

「だったらブチ破れよ!オレは前から言ってる!遠慮なんかするこたぁねぇって!グラウンドは闘いなんだから、外人も先輩も後輩もない!遠慮されても困るよ、お前!」

「遠慮してんじゃないです!これが流れじゃないですか、これが阪神タイガースの!ねえ、そうじゃないですか!?」

「じゃあ、力でやれよ、力で!」

「やります!」

「ああ?やれるのか、本当にお前!」

「やりますよ!」

 

ここで金本監督が藤浪にビンタを放った。

しかし、藤浪もすかさず金本監督の頬を張り返した。

「モイスチャーミルク配合!」

1973年、阪神では鈴木皖武権藤正利が金田正泰監督を殴ったことがあったが、それ以来の造反劇である。

阪神はまた、お家騒動の歴史を繰り返すのだろうか。

ここで藤浪が箱からハサミを取り出し、自分の髪を切り始めた。

 

「やりますよ!やりますよ!」

「待て待て、待て!」

「いらないですよ、こんなもの!」

 

しかし、金本監督は何とか髪を切ることをやめさせた。

だが、藤浪の興奮は止まらない。

 

「こんななってもお客さん呼びますからね!もう監督、クソもミソもないですよ、これ!オレ負けても平気ですよ!負けても本望ですよ!これでやるんだったら!」

「やれ!やるんなら!!」

「やります!手、出さないでくださいよ!」

「オーケー!オレは何も言わんぞ、もう!やれよ、そのかわり!」

「やります!広島でオレの進退を賭けます!だったらいいですか!?」

「何だっていいや!何だって言ってこいや!遠慮するこたぁねぇよ!」

「もういいっす……」

 

そう言い残して、藤浪は監督室から立ち去った。

阪神に激震が走った藤浪の造反劇、開幕ローテの順番が変わってきそうだ。

これが「藤浪革命」の序章になるのだろうか。

しかし、なぜ藤浪が髪を切ろうとしたのか未だに謎であり、会話が噛み合っていないので何を揉めているのか不明である。

 

 

【4月1日=USO通信】

 

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何を言っているのか理解できない人は、字幕スーパー付きをどうぞ

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